2017-01-01から1年間の記事一覧
人間性とはなんだろう。旧社会、それは階級が厳然とそのテリトリーを誇示していた時代であった。貧富とカースト、そこには決して超えられないラインというものがあった。そしてプロレタリア、ブルジョワジー、そこには確かに、剰余価値と搾取という名の下で…
かつて、サイエンスで流行の兆しを迎えようとしていた、この「私的な」という観点こそ、それはやがて “神が死ぬ” 予兆として現れたのかもしれない。この「私的な」という観点による探究では、時たまこのような多幸感は観られる。実はこの「私的な」という観…
特に現代は、この「私的な」の領域が、社会科学を中心に、半ば全面的に流入される時代となった。特に、社会科学の領域においては、「私的な」という一観点を用いて、人間社会を複雑に構築する、ありとあらゆる現象を解明して行く手法が流行している。 そんな…
そして、それらを根源とするサイエンスという営みがある。それは、仮説と証明を繰り返して、知を体系化し、やがて真理へと限りなく近づく為の行いである。これまでサイエンスの手法では、「主観」といわれる、哲学上では「感情」とも分類される箇所を、極力…
「知る」とは一体なんだろう。何をもって、人は知るに至るのだろうか。人間はこれまで「真実」に対して真摯に取り組んできた。人間は知る事を無上とし、知ろうとする事によって様々なものを手に入れようとしてきた。「知る」とは恩寵であり、また時にそれは…
社会問題に関心のある人たちがいる。ひとえに社会問題に関心を持つのは、ひょんなことから、その道に入る人が多いだろう。ある人は当事者を名乗り、その問題のイニシアチブを会得する契機を得る。またある人は問題意識をなんらかのきっかけで意識し、問題の…
そのような過剰な社会では、必然的にそれらの重くなった衣服を、自主的に脱ぐ行程が必要になります。その一つの方法が、自分を「表現する」事なのです。そう、身体で表現する事によって剥き出しの自分をさらけ出す。それはこれまでに何重にも重なり、半ば石…
この世の中には自分を「表現している」人たちがいます。表現者たちは、自分の内なる世界をどんどんとさらけ出しています。そんな彼らは、激情的であり、かつ感傷的でもあります。時に人間は、コミュニケーション以上の何かを表出しようとします。それを身体…
あらゆる生物には「皮膚」という臓器があります。この皮膚を通して、生物は、敵味方、必要不必要を識別して、個体を維持しています。皮膚とは境界です。それを基準に、要るものの世界と要らないものの世界が、峻別されている。しかし、そんな要らないものの…
悲劇は日々繰り返される。その怒涛なる世界の内側で、まるで首を締め付けられるような苦しみに、のたうち回る彼らの呻き声が、このすぐ傍にまで滲み出している。しかしこの悲劇を視まいとする群衆の犇めく自惚れが、その救いを求める彼らの手を払い退けるの…
かつて2001年9月11日に、同時多発テロがアメリカで起きた。その際、当時のアメリカ大統領が、この報復処置としてアフガニスタンへの侵攻を開始した。そしてその翌年、当時のアメリカ大統領が一般教書演説にて、当時のイラン・イスラム共和国、イラク(バアス…
そういう意味では、日々主張される「LOVE & PEACE」もまた、それ単体だけでは、世界の未来を生み出す訳でも、また結果的に歴史が創造される訳でもない。なぜなら、大枠の歴史というのは、何らかの絶対的な真実だけが唯一存在し、かつ、それを絶対軸にして一…
日露戦争、そして二度の世界大戦を経て、大日本帝國は1945年の8月15日に敗戦を迎えた。サンフランシスコ条約の講和のその後、大日本帝國はGHQによって実質的に解体され、そして新たに平和立国を標榜する日本国として、再建されるに至った。世界大戦の敗戦、…
しかしその際に現れる、それなりの弊害も、また危惧されるべきであると思う。それは、「私的な」という観点から広範な社会的現象を「語る」事に際しての自身のスタンスと、その振る舞いである。そこには、自ずと錯綜した視点と、それに絡んだ自分のスタンス…
これまでサイエンスは、「主観」とされるものを極力排除してきた。その傾向をより強めたのは、16〜19世紀の期間だとされている。この頃のサイエンスは、観察器具による現象の観察と、幾度の実験による検証という手法を確立した時期である。これら観察器具と…
真実的なものが、形而上的であるという意義は、自分とは「決して知り得ないと存在」とする事にその本義がある。「決して知り得ない」それは、いわゆるサイエンスを志す者が身に付けるべき作法であると言えるだろう。また「決して知り得ない」とは、それは「…