心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

2013-01-01から1年間の記事一覧

知識の信憑性とは何だろう 〜ネットを通じて拡がる学術の可能性〜

最近は、Twitterとか個人のブログの方が、思想的な刺激を受ける事が多くなってきた。これらはいわゆるネット情報とか言って揶揄されるモノだけど、ネット情報を揶揄するといっても知識の「信憑性」が、という程度の次元の話であって、それらを「発想」という…

確率論的統計学の手法についてのメモ 〜客観性から主観性へ〜

批評家たちの創るストーリーは、読み物としては面白いものが多いけど、それが現実的かと言えば、何だかなって思う訳です。社会の多様性は、確かにあると思います。でも、それを認識するだけの能力も方法も、今の人間には備わってはいないように感じます。な…

死(imaginary)と生(real)の循環へ

実世界(real)に疲れた時、虚世界(imaginary)=死(dying)へと想いを馳せる事は、実は、固くなってしまった心身の苦しみを和らげる効果があります。人間を始め、総ての生体というのは、自身を取り巻く外世界が常に必要です。なぜなら、実世界(real)から…

複雑多様な情報化と、流動するフラクタルな世界

自分にとってこの世界に違和感があるなら、まず広大なその世界の仕組みを知らなければいけないと思います。では、そういう世界で、知るという事は、どういう事なのでしょうか。日々、生活し、生きているという事は、それだけの苦悩、苦悶がある筈です。しか…

ブログ立ち上げについて 〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

みやすけはかねてから、そこで見えるものを描きたい、見えるもののありのままを描きたい、と思ってきました。それは、なるべく分節的でもなく要素還元するのでもない、ありのままの風景を。しかし、既存の学問関係の文章を読んでいても、物事にとある基準を…

あまりにも人間的な、感情は数多もの犠牲の上に

人間的な悪事を知ろうとすればする程、また、人間的な非情さを考えれば考える程に、人間的な感情を枯渇して行かなければならない皮肉を、一体、どのように受け入れなければならないのでしょうか。もし、人間的な感情そのものが、終わりなき差異の排除の濁流…

ツイッターリテラシーについて 〜見えるものばかりが真実ではないということ〜

好きな事を、好きなように自由に発信出来るサービス、それがTwitterと呼ばれるもの。その短い制限に関わらず、この自由な発信ツールのおかげで、様々な分野で、瞬時に情報を世界中に広める事が出来るようになりました。そして一時、その威力は、既存のメディ…