心象風景の窓から

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フィロソフィー【知】と【人】そして愛の関係 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.1

真実的なものが、形而上的であるという意義は、自分とは「決して知り得ないと存在」とする事にその本義がある。「決して知り得ない」それは、いわゆるサイエンスを志す者が身に付けるべき作法であると言えるだろう。また「決して知り得ない」とは、それは「決して触れられない」「決して対面出来ない」という事の暗喩でもある訳である。では、哲学〔フィロソフィー〕とは、何か。それは、【知】と【人】との愛の関係性である。まさに「知〔ソフィー〕」を「愛する〔フィロ〕」というイメージからは、まるで愛しき人に馳せる、深い情を篭めたような情景を連想させる。

 

この「決して知り得ない〔もの〕」こそ、これがそうであるから、これに「知〔ソフィー〕」に倒置させた、「愛する〔フィロ〕」という表現を与えたのだろう。俗に、決して触れられない高嶺の花にこそ、人間の愛は、深く燃えるものである。こうした「知〔ソフィー〕」と「愛する〔フィロ〕」が限りなく親密に関係し合うような、決して「知り得ないもの」に関する、そのような甘美なる表現は、人間が「知」という現象に対して抱く、エロスを表象しているようにも見える。それは、現象の一部である【知】を人格として喩え、更にそれを「決して、到達し得ない」という、さもそれが人間と人間との、甘い愛の関係になぞらえているように、思わず空想してしまうのだ。

 

つまりフィロソフィーとは、【知】と【人】との人的な愛を介した蜜な関係を謳ったものではないか。つまり、そこには人間が本能的に持っているエロスが、暗喩として篭められているように思える訳なのだ。そして、その実践者を「知を愛する者〔フィロソフィスト〕」と呼ぶような、このような名に関しても、そこには、醸成されたより親密なムードが表現されているようでならない。【人】は愛を持って、【知】と対面し、そこに親密なる関係性が生まれる。そのような連想を想起させるのは、決してただの夢想ではないだろう。

 

そして、それらを根源とするサイエンスという営みがある。それは、仮説と証明を繰り返して、知を体系化し、やがて真理へと限りなく近づく為の行いである。これまでサイエンスの手法では、「主観」といわれる、哲学上では「感情」とも分類される箇所を、極力排除してきた。それは、サイエンス的手法においては、「客観性」に基づく分析が、より重要視されている為である。そしてサイエンスとはその手順の上で、厳密に体系化されたものである。またそこでは、特定のルールを厳守した中で、さらに厳密な証明を施す事を、条件とされている。

 

しかしこれは、例え同じサイエンスの仲間でも、そこから様々に分岐したそれぞれの分野では、この証明される際に使用される手法の定義は異なる。だがあえて共通しているものとして、まとめられるならば、それは基本的には、観察される対象に課せられる自身の客観性というスタンスを、厳守しなければならない事であると言えるだろう。そして恐らく、これらは広くサイエンスという分野で、取り入れられているものであろうと思われる。そうして観る対象を、客体化して分節化可能な現象として扱い、それらを普遍的とされる理論に一体系化するという事が、主にサイエンスの分野でなされている仕事である。

 

しかし、サイエンスが勃興する以前の更に昔では、また事情は違っていた。特に古代哲学においては、人間としての在り方を、根源から問うという側面がより強く出ていた。それは、現代サイエンスのように、経済活動に直接応用されているような、実用的なものとは、また違うものであった。特に現代では、サイエンスの果たす役割は、純粋理論の分野だけではなく、応用理論としてより実用的な面に、幅広く利用されている。またサイエンスの発達と、人類の進化は、時代が進むに連れて、より加速的に密接な相乗効果を生み出している。このようにサイエンスとは、古代哲学が、「知を愛する〔フィロソフィー〕」と表現されるように、主に「人間の心の営み」に関して影響を与えていたものとは、違うものに発展して来たと言えるだろう。【しかし、数学の起源のような、農耕との関わりが深くあったとされる分野の研究もある。】

 

このように古代哲学においては、より良く人間が、僅かな期間の狭間で生きるという事に、どれだけの意味を持つ事が出来るのかを模索してきた。更にまた、より良い生き方とは、どのような意義を持ち得るのかという事を、広く探究されてもいた。つまり古代において哲学とは、人間がより良く生きるための智慧を、授かるための手段であった。

 

そうして古代哲学においては、精神、神の存在、また魂や美という現象を通して、この世界の根源を探究しようとした。そして、そこから様々な流派を派生させながら、人間の生という現象を模索して来たのだった。もちろん、その対象は、人間だけという事でもなかった。それは「自然」に関する好奇心がそうである。流派の中には、世界を構成する「自然」の根源を究明したいとした派閥も存在していたのだ。またそれらは、哲学と区分され自然哲学と呼ばれていた。そうして、この世界の根源を究明したいと湧き上がる欲求めいた感情や、またそれらを発端に、現実世界に内在する、様々な現象の根源を探究していこうとする哲学を、総括して形而上学と言われている。