心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

「LOVE & PEACE」は戦争から世界を救うか? Part2

そういう意味では、日々主張される「LOVE & PEACE」もまた、それ単体だけでは、世界の未来を生み出す訳でも、また結果的に歴史が創造される訳でもない。なぜなら、大枠の歴史というのは、何らかの絶対的な真実だけが唯一存在し、かつ、それを絶対軸にして一方的に紡がれてきた訳ではないからだ。つまりそれが歴史的であるとは、史実における良し悪しという単一なるスケールを遥かに凌駕(りょうが)し、むしろそれらは表裏を一体にし、絶え間の無い複雑性を総合した、超スケールの事を意味するのである。一言に「戦争」「平和」と言っても、それは単に一般的な名詞を表している訳ではない。そのような、とある歴史的な事件を名付ける名詞をも、そのたった一片の言葉だけで、総ての相互作用が内包されているという完璧さそのものは、一切存在しないのだ。

 

つまりは、ある歴史的事件に良し悪しを言う時、それはどのように議論を煮詰めても、結果的には、完全に個人的な感想という範疇からは、決して逃れられないという事である。そしてあらゆる歴史的史実が、複雑に混在化された多面的多様性の上でこそ、その歴史的スケールの存在が可能になるのだ。歴史とは、終わらない議論の過程の裡にこそ存在する。論議が絶え間なく移り変わるその狭間にこそ、歴史の本質は宿っているのである。そこでは、あらゆる現象が歴史という複雑系に内包され、かつそれらが複合的に作用し合いながら、混沌未分なる人類史全体を創り上げているのだ。そこには正と負の作用も共にあり、またそれの逆の作用もある。正は時に負となり、また時に負は正に作用する。よってそれらの要素が巨視的なレベルで、逆説的超スケールを発生させながら、カオティックに歴史的ダイナミズムを躍動させているのだ。

 

またこうも言えるだろう。つまり「歴史」という全体性には「正」も「負」もない。また「善」も「悪」も、もちろんあり得ない。「歴史」とはまさに、このような正と負の、そして善と悪との作用によって、不断に脈動しているものであると。またそれらは歴史的な超スケールの裡で複雑怪奇に「今」と相互作用しているのだ。また、時にそれ以上の多様な次元をも包摂しながらも、それらはお互いにその一切を余す事もなく、夥しく切磋琢磨しながら、人類の歴史というものを築き上げてきたのだ。

 

そういう意味で、「LOVE & PEACE」のように、それのただ一方のみが作用しているだけでは、これからの歴史が構築されて行く事は、まずあり得ない。またそれと全く同じ構造で、もちろん戦争「だけ」でも、歴史は成り立っては行かないのである。つまりどちらか一方だけの結論では、新たな歴史というのは、生まれないのだ。よってその両方が作用し合ってこそ、「戦争」と「LOVE & PEACE」とが両立する訳である。これが歴史という本質なのだ。しかも更にいえば、このどちらかが一方的に不要なのだという事も決してないのである。そう「戦争」と「平和」こそ、それらは互いに両立してこそ、戦争と平和の、両方の存在意義を確かなものにするのである。むしろそのどちらもが、歴史という全体を成す、重要な構成要素であるのだ。

 

その昔、人間愛を標榜し、人類世界の平和を謳ったヒューマニズムが勃興した時代があった。そしてその華々しいデビューから、それらは次第に、活気のある流行となって行った。しかしその時流がますます強くなって行くに従い、その内部では、神聖化絶対化の闇が疼き始め、やがてその病魔によって、ヒューマニズム勃興時の誇り高い理想は、無残にも腐食する事態となった。そしてその病状が悪化して行くに従い、ヒューマニズムを信仰する理性的人間と、ヒューマニズムを標榜しない人間外とされる人種との差別化が、ますます酷く拡がるに至った。それから、そういう存在から富を奪取せよ、それ以外を信仰する集簇に対してなら、また自国がより栄華して行く為であれば、野蛮な彼らには何をしても構わないと、狂ったようになるまで、その理想は凋落した。やがてその愚行によりヒューマニズムは自滅の途を辿ってしまった。そんな過去がかつてはあった。※3参照

 

それと同質的に、「LOVE & PEACE」の待つ、それが次第に絶対化するような流れもまた、それ自体が平和構築への原動力に結晶化されて行くのではなく、むしろ「LOVE & PEACE」を標榜する善と、それ以外の悪との差別化が、より露骨になる事態となり得る事を示している。また、平和こそが最善であると信仰されているからこそ、それらの對立(はよりどぎつく深化して行くのではないだろうか。そういうあらゆるライツが辿るこのような誤作動は、歴史的にも充分に証明されている事である。

 

愛が人を守るのではない。その愛は、愛する者以外の存在を排除するだろう。平和が人間を護るのではない。ある人が平和を謳歌するその外縁には、過酷な労働に耐える末端労働者の苦悩の滴る汗水がある。故に愛と平和だけが、確かな誇りなのではない。しかし仮にそれが全てだと謳うだけの「愛と平和」があるのだとすれば、その理想は、「愛と平和」以外の現実を盲目にさえするだろう。故に正しい事だけを美しく謳う「愛と平和」は、時にそこだけの快楽に、身を閉じ込めもするだろう。それでは、むしろこの世界は閉じていくばかりだ。

 

それでも、ほとんどの戦争はそのような世界をも破壊する。そう、愛と平和を美しく謳歌する人々の暮らしをも。そしていつなん時、どこかの敵国の爆撃によって、その全てが無残にも破壊される瞬間が訪れるかも知れない。しかし、国会議事堂前で叫ばれる「LOVE & PEACE」もまた、「LOVE & PEACE」を標榜する以外の悪人という存在を造り出しているのかもしれない。破滅への戦争が、ときに未来への創造の一端になっていたのなら、逆に「LOVE & PEACE」もまた、それを標榜する人間以外の悪しき存在の滅亡を望んでいるのかもしれない。そしてここまでの巨視的スケールとなって初めて、「戦争」と「LOVE & PEACE」とが内包している善悪は逆転する。

 

しかし真実がそうであるならば、このどちらかの主張が間違っているのだろうか。「LOVE & PEACE」の裡に秘めるある種の偽善性にも、戦争という現象の必然である「破壊と破滅」の凄惨さにも、むしろ、そのどちらにも人間性の暗い一面が染み出している。またそれらは、時に希望でさえもある。このどちらの要素にも、その一方が抱える、人間の悪質性を成す本質が含まれていて、また逆にそれらは、人間を良きものに導く良質性をも兼ね揃えているのだ。しかしであるからといって、そのどちらかが一方的に正しいという訳でもない。また、そのどちらもが、間違っている訳でもない。このような、お互いに補完し合う正負両面なる要素が、「歴史」というものを、完全無欠なる包括的結論に帰結させないように作用しているのだ。つまり、「戦争」と「LOVE & PEACE」とが交わる作用場の本質に拡がるジレンマは、ここにこそ存在しているのだ。

 

戦争と平和、そのどちらの方にも正と負の因子が混在している。よって「戦争」と「LOVE & PEACE」との間で、それらのどちらか一方が絶対化する時流の中では、むしろそのどちらもが「悪者の破壊」という括りで、一つの大きな同相を作り出しているのだ。

 

一方で「LOVE & PEACE」と、そのみんなが謳う言葉には、その外縁で殺されていく人々の現実が排除されているように見える。実際、大勢の若者が国会議事堂の前で、どれだけ「LOVE & PEACE」と叫んでも、今隣の国で起きている戦争に終止符を打つ事さえも出来ない。むしろそこにこそ、「LOVE & PEACE」という理想と、それでも「終わらない戦争」という現実の狭間(はざま)で、苛烈なる歴史的宿命の応酬があるのだ。そこには、厳然とした終止符のようなものは、存在しない。しかし、それは歴史の宿命が秘める無情さでも、また人間が作り出す運命の卑劣さでも決してない。そのような「LOVE & PEACE」と「戦争」を隔てる間隙には、互いの似姿を無作為に投射し合う、無限に繰り返される自己投影の極限がある。

 

そしてそれ単体では、完全に正しい主張である筈の「LOVE & PEACE」もまた、時に独善の事態に陥る事があるというのは、歴史的に観て、充分に証明されている真実である。よってだからこそ、これからもそういう事態はあり得るのだ。その瞬間の「LOVE & PEACE」は、それに賛同しないそれ以外の人を嘲るだろう。そうなれば、「LOVE & PEACE」も、この場合では悪となるのではないだろうか。そして「戦争」もまた、これまでの認識以上のマクロなスケールでは、誰かの幸福へと繋がり得るのだ。全ては相補性的である。それも時に逆説的に。しかしこのような逆説的な作用とは裏腹に、またそれよりかも遥かに広い別の位相では、これらとはまた全く逆の作用をも、当然のように存在しているのだ。つまり、逆説の逆説である。そしてここから更に内部のフィールドに入る事は、人智を遥かに超えるステージに突入する事となるのだろう。

 

このようにこれまで議論を進めて来たが、それでも戦争という悲劇から脱却しようとする「LOVE & PEACE」なるアクションが、全くの無駄であるという事を、結論にしたいのではない。そういう、「LOVE & PEACE」なる理想もまた、より良き歴史の未来を提起するに当たっての、より重要なファクターであるのだ。なぜならばそれは、純粋に正しい事であるからだ。けれど、それでも何らかの諸外国から、戦争という銃口を、どこからともなく突きつけられている現実も、またリアルなのである。そういう状況にある渦中でも、それらを十分に加味し吟味にかけた上で、自衛隊のこれからの意義や、憲法の再解釈に当たる議論が、広く活発に展開されるようにと、切に願っている。そのように考えを不断無く巡らせる行為もまた、これからの日本国の未来を考える上での、重要な行動であると思うからだ。

 

大切なのは、考えを巡らせ続ける事だ。それは決して一つの結論に綺麗にまとめる事ではない。たとえ議題が「LOVE & PEACE」であろうと、「戦争」であろうとも、そこに「絶対化という停滞」が存在し続ける事こそが、あらゆる事態を悪化させて行くのだから。そして、「LOVE & PEACE」や「戦争」が共に、「正」と「負」の部分を持ち合わせているという、この二つの真実こそは、その両方ともが、「戦争」や「平和」という歴史的現象を語る上では、より重要なテーゼとなり得るだろう。

 

しかし、みやすけは、そのどちらかの一方の主張だけが、絶対的に正しいという事を言っているのでは、決してない。みやすけの願いとは、議論を有意義に巡らす事である。流れのあるところに、清き水はある。

 

これまで見て来たように「LOVE & PEACE」が絶対的真理を持てないなら、「戦争」という現象も、それと同じ動機で、また絶対的な真理にはなり得ない。しかし、この二つの命題というのは、まったく分け隔てられた存在ではない。むしろこの二つの命題こそが、それぞれの影を投影し合って、より密接な関連を作り上げているのだ。よってこのそれぞれは、それぞれを独立的に語る事を許さないだろう。それらは、互いの領域を共に跨り、かつ各要素は複雑に作用し合い、そしてそれらはお互いに、混沌未分なる本質的なスケールをも共有し合っているのだ。だから、そのどちらもが、決して欠いてはならないし、また、どちらかの自己主張が強すぎてもならない。

 

「戦争」と「平和」は、その根本を共有するフィールドでは、互いに渾然一体を成している。よってそのどちらもが、どちらに対しても、一方的な独善に陥らないように議論を展開する為の抑止力になり得るのだ。つまり「戦争」と「LOVE & PEACE」という二つの命題は、どちらか一方の独善的議論へと陥るのを、抑止させる作用を持ち合わせている。ようはバランスの両立である。つまり「戦争」や「平和」という歴史を議論するにおいては、この両方こそは必要必然となるリアルなのである。そして、絶対的真理化を許さない、このような歴史的現象は、その矛盾率が満遍なく包摂されるような絶え間のない、不断に流動する相互作用の狭間にこそある。そしてそのバランスの両立によって、「戦争」か「LOVE & PEACE」かのどちらかだけが神聖絶対と化して行くのを抑止する効果を生むのだ。よってこのような、より広範なる「戦争」や「平和」という現象に関する議論を、行い続ける気力を持つ事が、まさに今こそ必要なのだと、みやすけは思っている次第である。

 

 

〜「LOVE & PEACE」は、戦争から世界を救うか?〜

 

※1参照の記事

「日本のアフガン支援は何を意味しているのか」

https://www.jri.co.jp/file/report/tanaka/pdf/5407.pdf

マスコミが報道しないアフガニスタンの実情 - AKIRA-MANIA

http://www.akiramania.com/out/dr.nakamura.html

 

※2 事実確認について

今回参照したのは、YouTubeに数多くアップロードされている動画によるものである。きちんとした事実に根差しているかの議論があると思われるが、ここでは省いた。

 

※3 ヒューマニズムの歴史的位置付けについて

ここの箇所に関しては、歴史的経緯は予め掻い摘んだ形を取った。ご了承下さい。

 

〜参照の記事〜

安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと

伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から

http://synodos.jp/international/14646

 

 

 

 

 

「LOVE & PEACE」は戦争から世界を救うか? Part1

日露戦争、そして二度の世界大戦を経て、大日本帝國は1945年の8月15日に敗戦を迎えた。サンフランシスコ条約の講和のその後、大日本帝國GHQによって実質的に解体され、そして新たに平和立国を標榜する日本国として、再建されるに至った。世界大戦の敗戦、それは、一つの時代の終焉であり、また始まりでもあった。敗戦を迎えたそれからというもの、その忠実なる平和的中立国としての日本国は、その後の歴史的事件に対して、その随所随所で重要な国際貢献をしてきた。

 

例えば、1978年から、国中が内戦の炎に燃え盛っていた当時のアフガニスタンにおいては、幾度の国際的な支援を受けて、2014年にようやくテロ組織や軍閥の、大方の武装解除に至った。そしてその問題解決の陰には、特に日本国の支援が一躍を買っていたとも言われている。しかしそこには、単なる平和的中立国としての成果があった訳ではない。それは、過去に深く刻印された敗戦国という立場から発するメッセージが、結果としてアフガニスタン国内の和平を締結させる事を可能にしたのだ。そう、敗戦国という過去の刻印こそが、当時のNATO同盟各国よりも、アフガニスタンに対してより親身になれるという形で役立ったのだと、一部の研究者によって、そう分析されている。※1参照

 

約一世紀前の過去、大日本帝國は、大東亜共栄圏を大々的に掲げ、各国に攻入る形で散々に猛威を振るった。そしてその際には、幾万もの命の悲惨な犠牲を生んだ。しかしそのような凄惨なる現実がありながらも、また別の箇所では、欧米列強の国々に植民地支配を受けていた、当時弱小であったアジア諸国を、結果的に独立へと導いたのだとする研究者の話もある。このような研究は、悲惨さの象徴である大東亜戦争も、結果的にではあるが、それとは逆にアジア弱小国の独立の機運に繋がったと唱える事も、また可能であるという事を示している。これは空想の話ではない、その証拠に、それを実証するような、当時のアジア各国の高官の話も、記録されているようだ。※2参照

 

過去、大日本帝國が行ってきた世界大戦の痕跡を伝えるのに、現代の一般メディアは、様々な創作物を、または芸術を、広く流通させている。それは映画、文学、その他のイメージによってである。また、その表現の内容とは、戦場での、人間の過酷なる生と死のドラマを強調するものが多い。しかし却ってその方が、戦争という現実を、幅広く浸透させやすいという、経営上の目論見ももちろんあるだろう。このように敢えて広く民衆に伝わり易い形で表現したものを流通させる事の方がマーケティングの理論としては、真っ当なのかもしれない。しかし、そのように表現される悲惨で苛烈なヒューマンドラマだけが、「戦争」というリアルの全てなのではない。

 

では「戦争」とは何か、これから書こうとしている事は、あくまでもみやすけの仮説である。しかしこの論考が進むにつれて、チョイスする言葉のニュアンスによっては、時に戦争を美化するものとして映るかもしれない。しかし、ここで表現したいのは、「戦争」の醜悪さでもなく、またバックラッシュとしての美化でもない。この論考は結果的に、一つの結論で片付けられない、文末が取り留めの無いものになるだろう。しかし、この表現にも「戦争とは何か」という途方も無い議論の迷宮に一筋の光をもたらすような、生命を吹き込もうと思う。それでもこの論考内で繰り広げられるどのようなイメージも、現代の世界情勢に適った形で終始し、またその総体は、この世界を構成する様々なリアルの中のほんの小さな断片に過ぎない事を否めないにしても。つまり、どのように語り尽くしたとしても、結局は巨大な総体の内の、ほんの粗末な断片に過ぎないという事である。

 

ここで、敢えて先に言おうと思う、実際「戦争」とは、人間の悲惨さ凄惨さ、そして人間本性の醜悪さのみの集約の事を言うのではない。そう戦争とは、過去にアジア独立の機運へと導いたように、何かしらの未来を生み出す潜在的なパワーを持ち得るのだ、ということを。この仮説は、現代の世界情勢のリアルから演繹したものである。しかし歴史を決めるもの、それは未来である。この、たった「今」には歴史は宿らないのである。歴史を敷衍出来るもの。それは、その事件から充分な時間が過ぎ去り、そしてその事件に関する夥しい量の史料が発掘され、またそれらが考古学的に、十全な処理が可能となってからである。

 

ここで話を戻すと、例えば、数万もの命が奪われる悲劇を生み出した大東亜戦争を、逆の見方に転換した時、当時、植民地支配に苦しんでいたアジア各国を、大日本帝國が独立へと導いたと位置付ける事も、実は可能なのである、ということ。ここでいうアジアの独立とは、列記とした史実である。だから、そこから推理して、このように位置づける事が可能となる訳である。つまり大東亜戦争によって、世界情勢が変わったのである。しかしこれまでは、戦争を悪いものとしてしか見てこなかった。しかしこれをアジア独立の契機にもなったと、逆に見て取ると、それは良いものにもなり得る。つまり史実とは裏表一体なのである。歴史上の一つの事件を取ってみても、それを個人的な良し悪しで一方的に定義付けようとする行為や、またその事件に包摂されている巨大なスケールは、遥かに人間の思考範囲を凌駕しているのだ。それは、大東亜戦争という一つの現象を持ってしても、そのようであるという事が、まさに今ここで証明されようとしている。しかし、その表裏一体な史実の特性によって戦争が全面的に支持される訳でも、または期待される訳でもない。でもそれらの見方も一つの真実なのだとすれば、「良」「悪」を共に一体とする現象こそ「戦争」の本質なのだと、考えられるのだ。

 

そしてこのような表裏一体の史実が、真実であるとされるのなら、戦争という現象は、人々の命が無残にも殺戮されるという凄惨で悲惨な面を持つだけのものではないという事になるだろう。またそうなるのだとすれば、我々は一般的に流布されている戦争というパブリックイメージよりかも、もっとこの現象には、より深遠なるプリミティブな領域がある事に気づかされるだろう。だから今一度、より慎重に俯瞰してみる必要性があるのだと思う。そう、この史実の持つ「表裏一体」の原理によって、戦争という真実は、実は更なる複雑な次元を構成するダイナミズムに揺らいでいて、またその極地には、より深いプリミティブな「戦争」という原初の体験が存在しているとの仮説が立てられるのだ。

 

そこでは、一般の研究的理論化という手法を持ってしても、まだ到底語り尽くす事の出来ない、より深い複雑でいてピュアな戦争の体験が存在し得るのだと思われる。そういう意味では、現象の大枠を意味する「戦争」と、またその双対である「平和」というものも、これらとまったく同じ論理で、「戦争=悪」「平和=善」という表面的なニュアンンスを超越し得るのではないか。また、このような事実によって、それらを普遍的な形で一般化する事も、単純な結論に還元化する事も、それを不可能にすると考えられるのだ。つまり、「戦争=悪」「平和=善」という図式も、遥かに永い史実のスパンにおいて、そのような定義に固定化する事は、実質的には不可能であるという事なのである。つまり、どのような歴史的事件も実のところは複雑怪奇でいて、それもあらゆる事柄は混沌未分でもあり、また総ての現実同士が、密接に錯綜し合っていると言えるのだ。

 

また、史実を構成する大きい事象から小さな事象にかけてのどのような関係にも、そこに包括し切れない正と負の作用因が、無数に存在しているものである。かつ、それらは複雑に入り組み、真実の探究をより困難にしている。つまりは、歴史上で起きるどのような事件も、たった一つの観点から、その事件に関する、あらゆる純然なる真実を導き出す事は、結果的に不可能であるという事なのだ。それは戦争という歴史的事件も同じである。

 

そして巷には、「LOVE & PEACE」を掲げ、戦争反対を訴える集団がいる。彼らは「LOVE & PEACE」で熱く戦争の悲惨なるリアルに立ち向かっている。だがしかし、これまで見てきた中で解るように、彼らが主張するような「LOVE & PEACE」という理想もまた、この悪辣な歴史の流れを、より良きものに変化させるような、唯一無二(ゆいいつむに)なる真実なのではない。

 

なぜなら、この「LOVE & PEACE」もまた、それ単体だけで、平和の根本を構成している訳ではないからだ。仮にこの世界が、正と負の作用の両立で成り立っているのなら、それはまさしく戦争と平和もまた、これと同一の作用の元で両立するものとして、同一視しなければならない。つまり、「正」と「負」とは一つの極に全く分節化される現象なのではなく、それらは相補完的に作用し合って、ある一つの巨大な現象を創り出しているのだ。またこれからの議論においては、史実とはそういうものとして見直し、これまでの歴史を改めて考え直さなければならないだろう。

 

それは、「平和」という現象でも全く同じ帰結である。つまり「LOVE & PEACE」の一方のみでは、世界平和の樹立を可能にする為の、唯一絶対なる正しいテーゼにはなり得ない。つまり「LOVE & PEACE」とは、それ自体では善ではあっても、それ単体としては決して絶対的な善ではあり得ないという事である。それはかつての大日本帝國の戦争が、あくまでも結果的にではあるが、アジア各国の独立の起因になったと、そう逆の見方が可能であるという事からも、そう言えるのである。この事実は、当時のアジア各国の高官による伝承が証明している事である。

 

だとすれば、それは逆説的ではあるが、平和を一方的に主張する事こそが、未来の戦争を勃発(ぼっぱつ)するに当たっての、重要なポイントとなる事態を予期させるのだ。つまりは、「戦争」もまた単に破壊や殺戮という面だけで存在する訳ではなく、それは時にケース・バイ・ケースで、一国の未来を創造する起因にもなり得る。そして一般的なイメージでは最善とされる「平和」も、辿る道筋を見誤れば、時に戦争へと駆り立てる原因にもなり得るのだ。

 

それでもほとんどの戦争は、たしかに人々の命や、その生活をも根こそぎ破壊する。それは愚行としてあり、決して許されはしない。それこそは正しい主張である。しかし、大日本帝國の戦争が、結果的に、欧米の列強国から、アジアの国々の独立を可能にさせたと伝承されているように、仮にそれが真実なのだとすれば、戦争という現象も、極一部分ではあるが、これからの世界を生み出す起因にもなり得るのだ。つまり戦争とは、ある場所を破壊し、時に殺戮も招くが、また別の箇所では、平和の創造に作用する事がある。これは実に逆説的な仮説である。一口に戦争といっても、そこには正と負の両方の作用が、逆説的なスケールで作用し合い、かつ存在している。そう、このような前提があってこそ、正と負の作用が複雑に入り混じった表裏一体を形成し、結果、逆説的な戦争という混然一体の実状を観る事が出来るのだ。そう、「戦争」と「平和」、これらは、一辺倒な理論で簡単に解く事も、また単純な一般論に包摂する事も出来ない、歴史的現象である。

 

つまりこれまで観てきた事柄を一旦まとめるなら、この一見矛盾なる結果、つまり巨大なスケールでの戦争という見方においては、単純に「善」と「悪」という二分律で、どちらか一方にのみに結論を下す事は不可能であるという事、そしてそれらを単純に思考しようとする行いは、時に「戦争」という本質を見逃す結果に至るという事である。つまり戦争というのは、厳密に言えば、ただそれだけでは「善」でも、また「悪」でもない。しかし「破壊と殺戮を招く」という一面が現れてこそ、初めて戦争は悪であり得る。戦争によって人間が無意味に殺戮されて行くのなら、そういう一面での戦争というのは、どのような観点を取り入れようとも、それが絶対的な正しさであるとは言えないだろう。それは間違いなく罪あり、むしろ絶対的な間違いである。しかし、「戦争」という、より「巨大な現象」としてのスケールにおいては、決してそれが「絶対悪」であるという訳ではない。つまり、あらゆるケースを総合した「戦争」という現象には、それ自体には、良し悪しという小さなスケールのような単一性は皆無であり、むしろ相矛盾する逆説性を巨大に包摂する、複雑なファクターが内在化されているのだ。そこには、「良し」「悪し」のみの尺度で、それを語る事を許さない、壮大な「戦争」という現象が存在しているのだ。

エゴイズムの時代のサイエンス 【神は死んだ】のこれから 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.3

しかしその際に現れる、それなりの弊害も、また危惧されるべきであると思う。それは、「私的な」という観点から広範な社会的現象を「語る」事に際しての自身のスタンスと、その振る舞いである。そこには、自ずと錯綜した視点と、それに絡んだ自分のスタンス上の盲目性に、着眼せざるを得ない状況に突き当たる事になるだろう。そういう傾向の弊害なのか、あちらこちらで、自らを神であると自称するような言動が、事もあろうがサイエンスを標榜する学者の間にも、その感染の規模が拡張してる傾向が観られるのだ。

 

「私的な」からの観点を軸においた探究には、先程にも述べたように、強烈な快楽的多幸感を伴うシチュエーションが想定され得る。このような多幸感こそは、思想を体系化するに際して、危険を伴う事があるのだ。かつてニーチェは、“神は死んだ” と、警句を延べた。ではなぜ “神は死んだ” のか。実のところその神を殺したのは、現代のサイエンスで流行している「私的な」の観点から思考する際に陥りやすい、強烈な思考的オーガズムではないか。思考的オーガズムとは、つまり自分の雄姿に酔い痴れている状態である。

 

かつて、サイエンスで流行の兆しを迎えようとしていた、この「私的な」という観点こそ、それはやがて “神が死ぬ” 予兆として現れたのかもしれない。この「私的な」という観点による探究では、時たまこのような多幸感は観られる。実はこの「私的な」という観点からは、思想的独善が生み出され易くなるのだ。そしてかつて、ニーチェによって “神は死んだ” と言われて久しい時間が経った。しかしそれにしても、ニーチェの言った “死んだ【神】” とは、一体何を指す語なのだろうか。その正体とはつまり、いわゆる社会で共有されて来た【絶対性〔ストーリー〕】を指す言葉なのではないか。

 

つまり、これまでの「絶対性〔ストーリー〕」が零落し、やがて、相対性の時代が到来する事を予言した警句だったのではないか。では、相対性の趨勢する時代における神とは、一体何だろうか。それは流動する相対性によって社会構造が不確定化、または不安定化するに際して、アイデンティティを通して絶対性を帯びた 【個人〔私的〕】 なのではないか。しかし神を、絶対性の象徴であると断言するのは、少々早計かも知れない。が、社会構造が不安定化するという状況において、なおかつ社会で共有されるべく「絶対性〔ストーリー〕」も成立し得ない時代においては、自ずと【個人〔私的〕】が絶対性を持つに至るのは、半ば時代の宿命である。

 

そうした【個人〔私的〕】の絶対化、それは思考する自分が、まるでこの世の神であるかのような錯覚を引き起こす原因にもなりうるだろう。更にそうした誤解により、さも自分は “この世界の全てを知った者” として、横暴な振る舞いを起こす事態にもなりかねない。それはつまり【自分こそが神】であるという、事実上の宣言である。

 

かつてのフィロソフィーでは、自分とは、“決して知りえない存在” であるというような、人間とはそもそも不完全な存在であるとする了解があった。だから、神、精神、そして魂や美の根源に対して真摯でかつ敬虔で居られたのだろう。しかし、そうした古代においても、それらの態度を損なった人達が居たのだ。そんな彼らは、皮肉を篭められて “ソフィスト” と、揶揄されていた。ソフィストとは、「詭弁者」という意味で使用されていた言葉である。詭弁者である彼らは、自らの誤ちを隠したり、自分の成果を無駄に誇張する為に、真理を偽造したり、故意に振りかざしたりしたのだ。

 

そんな彼らの振る舞いの発端には、「主観性=【個人〔私的〕】」と「客観性=【フィロソフィー〔関係的〕】」とを混同させて、そこから倫理的道義的に誤った思想を構築していたのだろう。しかし、何においてどのような観点が最善であり、唯一正しい哲学であるかという事は、そもそも本質論的に不確定である。だから、必ずしもそういう状況に陥る事が、最悪であり、偽善であると一方的に決定する事も、また不可能ではあるのだ。

 

しかし “神は死んだ” という警句が、自らを神であると宣言するサイエンティストが現れるという言葉だったとすれば、どうだろうか。自らが独善的に盲信する真理で、他者の真理を猛攻する時代の到来を、かのニーチェは予言したのだろうか。かつてニーチェが予言したであろう、社会で共有されるべく【絶対性〔ストーリー〕】が成り立たず、実質的に形而上学が成り立たなくなってしまったとすれば。しかしそんな現代においては、「私的な」から成り立つ個人の真理にとって、【他者の真理】とは、これまでとは違う形式で、形而上を継承する役割を待ち得る筈なのである。つまり、他者の存在が、思想的にも身体的にもより身近である現代特有の距離感こそが、逆に、そこに到達し得ない存在としてのポジションを持ち得るのだ。

 

これはどういう事かと言えば、つまり【他者の持つ真理】こそが、フィロソフィーでいう所の【決して触れられないもの】の箇所に相当するのではないかと推測されるという事である。例えば、相手がそこに居るにも関わらず、その心を完璧に知るという事は不可能であるという見方からも、それが伺えるだろう。近くに居るのにも、関わらずそれに触れる事も、知る事も出来ない、これは【他者】という存在だけではなく、これまでの形而上学の対象であった、神、精神、また魂や美という現象もそうである。決して触れられない存在として、その根源を探究する事、それはつまり人間の生き方であり、人間としての真善美であった訳である。かつそれが形而上的な現象だけではなく、【親しい友人】でさえも、その定義に十分に当てはまる。

 

しかし、形而上学で扱われるような真善美が、人類に普遍的なものとして共有される時代は、とうに終わったのだ。しかし、それは普遍的に共有されるべく大きなストーリーの【元型】を失っただけである。それは決して普遍性がというのではない。だからそのような普遍性という本質こそは、形を変えて現代でも残滓として残り続けている。そしてその名残はあちらこちらの箇所に観られるのだ。

 

例えば現代では、アイデンティティに規律された個人というものが信仰されている。またつい最近までは、「自分探し」に代表されるような、本当の自分とはなんぞやを探究する自己啓発が流行していた。そしてある人は、愛する人の裡に、本当の愛を夢見るものであり、またある人にとっては、日々意識を高める事に確かな充足感を求める。そしてこれらに広く観られるのは、自分にとっての【普遍的な生】というものである。このような現代特有とされている【普遍的な生】という理想こそ、実は、かつて様々なフィロソフィア達が、形而上学に求めた、人間の生き方の真理そのものである。

 

しかし現実では、自らを神と自称したサイエンティストが、自らの体験を真理として「全てを知り得たのだ」と陶酔しているような光景が多く観られるようになった。その大方は、無闇な正義欲に振り回されて、他者を執拗に攻撃している。つまり、サイエンスにおいて「私的な」の流行とは、また別の観点から見れば、いわば「エゴ」の時代を表象したものであるとも言えるだろう。また形而上の失われた時代というのは、普遍的な価値が、形而下すなわち神不在の物質的な価値観に置き替わる事を意味し、それが思想的独善を、生み出しやすい状況を作ってしまうのだ。つまりそれが、現代で 【思想的エゴイズム】が流行するという事の証左である。

 

そしてたった今、巷の書店では、精神世界の書籍が流行っていると言われている。その訳とは、こうしたエゴイズムの時代への適応を呼びかけたものではないかと、みやすけは推測している。こうして見ると、その時代の流行りとは、むしろ、その時代がそういう流行りの逆に偏ろうとするから、その抑止力として顕れるのではないかと、仮説が立てられる訳である。むしろそこには、その流行りと拮抗する世の中の流れがあるのだと、そう仮説が立てられる。

 

そんな形而上が事実上失われた現代において、改めてその普遍性を持ち得るのは、【他者】という存在である。人間は、社会を形成して、その関係性の中で生きる動物である。そしてこれまで、そのような智慧を、神や、精神、そして魂や美に、その普遍性を求めて探究して来た訳である。人間とはそうした広い世界に、想いを自由に馳せて、これまでの永い歴史を紡いで来た。しかしどれだけ遠くの土地に想いを馳せようとも、結局は、近しい人間との関係性に立ち帰って行くのだろう。そして現代、人類普遍の法則はもはや捨て去られた。そして新たに、人間と人間の関係を再考する時代に、たった今突入したのかも知れない。

サイエンスの解体とアイデンティティの行方 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.2

これまでサイエンスは、「主観」とされるものを極力排除してきた。その傾向をより強めたのは、16〜19世紀の期間だとされている。この頃のサイエンスは、観察器具による現象の観察と、幾度の実験による検証という手法を確立した時期である。これら観察器具と実験の発達によって、サイエンスは飛躍的に厳密化されていく事になる。例えば、およそ16世紀にコペルニクスによって唱えられた地動説も、天体の厳密な観察によって立証されたものだった。それから一世紀を経て、ガリレオによって発明された天体望遠鏡によって、その傾向はより厳密かつ急速に発達するに至っている。

 

こうしたサイエンスを行う際の手法が、「私的な」を排除した理由とは、なんだろうか。それは恐らく、そこに自分こそが全能であるという惑いの余地を、あらかじめ封じる為のものであったのではないかと、みやすけは思うのである。

 

世界の根源を探究するというのは、ある意味、魔境を彷徨うのと似ている。それは、自分が世界を俯瞰するという状況において、まるで、自分が世界の総てを手に取っているのだ、という感覚を憶える瞬間があるためである。それは世界を「客観視」する事を、逆に、世界を「支配」していると錯覚する事によって生じるものである。

 

そしてそれは、「思考」という行為にも、その片鱗は現れるのだ。頭の中で、深化する思考。現実のあらゆる感覚を拒否し、より深く思考を研ぎ澄ませると、不意にとある臨界に達する瞬間を迎える。それは「ひらめき」と言われるものである。やがてそれに到達し、そこに深い手応えを感じると、自分こそが世界の覇者であるという全能感に支配されてしまうのだ。

 

こうした世界の全てを堪能しきった、あらゆるものを理解してしまったという体感、それはさも強烈な体感である。更にそこでは、酔い痴れるような快感が伴う。そうした極限の思考に到達される臨界点では、輝くような「ひらめき」があり、その更なる内部には、「世界を知ってしまった」という全能感が待っている。そしてその溢れ出す多幸の瞬間に、この世の神が現れるのだ。

 

このような体感とは、いわばこの「私的な」という観点からの思考が成し得る、耽美なる極限の形なのだ。そしてこの場合の神とは、身体感覚を強烈に体感する思考的オーガズムの渦中に現れるものなのだ。思考の極限にほろりと咲く可憐な華。そのような強烈な体感の最中に、全知全能の神は、煌めくような閃光を放って、探究する者を丸ごと呑み込んでしまうのだ。

 

特に現代は、この「私的な」の領域が、社会科学を中心に、半ば全面的に流入される時代となった。特に、社会科学の領域においては、「私的な」という一観点を用いて、人間社会を複雑に構築する、ありとあらゆる現象を解明して行く手法が流行している。

 

そんな現代とは、これらは既に言われている事ではあるが、前近代において機能していた階級制や身分制などの制度が成り立たなくなった世界である。更に現在の学説にならうと、前近代的な不自由で不平等な社会構造においては、アイデンティティで個人を規定する必要は、あまりなかったのだとされている。しかしこれは逆にいえば、社会構造が絶対的であるとは、いわば、その社会構造の内側の安定性を保証するものだった訳である。

 

特に現代では、様々な属性が多様化複雑化した世界となり、自らその最中で自己を確立し続けなければならない。また人間とは、社会を集団で形成しなければならない動物なのである。そうした渦中で、絶え間なく流浪して行く構造の最中に、独立した成員としての自我を保つ必要がある訳だ。そしてさらに、こうした構造社会の中では、この社会に対して、自らが充分に果たせるであろうメリットを、常に表明し続ける必要さえもある始末である。そう自分は、この社会にとって、常に有用なのだと宣言し続けなければならない。なぜなら、かつてのような絶対的な社会構造を失った為に、今度は、個人の自律を要請されるからである。

 

複雑多様化の社会とは、言い換えれば、それだけ不安定な社会構造という事である。そういう社会で絶対性を求める事は、ややもすれば差別を生み出す事にもなりかねない。なので、こうした社会構造に絶対性を定立させる事は不可能なのである。特に、今の世の中の時流は、相対性の時代である。そういう相対性の時代では、自ずと、個人というものを、それも自ら率先して安定させなければならない状況下に、晒される訳である。個人の安定化、それが現代社会の中で生き残って行く為の、必須なる術である。

 

そしてその最中で、常に「私的な」の一観点を導入するとは、絶え間なく流動する構造社会の裡で、ポジティブにアイデンティティを確立する為の手掛かりを、有益な形で提供をしているとも言えるだろう。これはどういう事かというと、順を追って説明すると、一つに、現代では形而上を形成する余地が、もはや無いのだという事実に、その解答の一端はあると見ている。

 

それは、この社会には、様々なアイデンティティを持つ人間が、同時に存在しているという事に深く関わっている。しかも、それが常に意識される範囲にである。そのような社会では、誰かしらの発言をも、そこに曝されるべく批判のようなものが、常に付きまとっている訳である。しかもそれは、決して見えない形で、周囲から常に見張られているような体感の下にである。つまり、社会の成員全てが合意し得る現象というものが、もはや成り立たたず、そうした渦中で、さらにその絶え間のない批判の眼差しに晒される上に、アイデンティティを確立した個人を形成する必要性に迫られているという事である。つまり、形而上学が成り立つ時代の、事実上の終焉において、個人というものがより前面化されるという事である。

 

そしてもう一つのキーとは、サイエンスにおける「私的な」の流行にある。それは、「アイデンティティ」という新たな個人の時代の出現に、深く影響されている。これらサイエンスの「私的な」の流行と、時代が要請する「アイデンティティ」の確立とは、実は、密接な表裏を共有しているのだ。このサイエンスの「私的な」の導入に際しては、それらは、主に社会運動に還元された形で、広くその思考体系が共有されるに至っている。それはつまり、「かつてのサイエンス」の事実上の解体を、余儀なくされているという事である。

 

それによって現代では、幅広い範囲に、サイエンスという思想が還元される契機にもなった。そこではもはや、かつてのような知識を待つ者、そして持たざる者という階級さえも消滅した訳である。つまり、サイエンスに「私的な」を導入した事、それによって様々な知識が溢れ出し、その移り行くトレンドの最中で、個人を確立するアイデンティティは、より醸成されて行くのだ。これらの事柄によって、アイデンティティがポジティブに確立されるに際しての手掛かりを示して見た。

 

フィロソフィー【知】と【人】そして愛の関係 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.1

真実的なものが、形而上的であるという意義は、自分とは「決して知り得ないと存在」とする事にその本義がある。「決して知り得ない」それは、いわゆるサイエンスを志す者が身に付けるべき作法であると言えるだろう。また「決して知り得ない」とは、それは「決して触れられない」「決して対面出来ない」という事の暗喩でもある訳である。では、哲学〔フィロソフィー〕とは、何か。それは、【知】と【人】との愛の関係性である。まさに「知〔ソフィー〕」を「愛する〔フィロ〕」というイメージからは、まるで愛しき人に馳せる、深い情を篭めたような情景を連想させる。

 

この「決して知り得ない〔もの〕」こそ、これがそうであるから、これに「知〔ソフィー〕」に倒置させた、「愛する〔フィロ〕」という表現を与えたのだろう。俗に、決して触れられない高嶺の花にこそ、人間の愛は、深く燃えるものである。こうした「知〔ソフィー〕」と「愛する〔フィロ〕」が限りなく親密に関係し合うような、決して「知り得ないもの」に関する、そのような甘美なる表現は、人間が「知」という現象に対して抱く、エロスを表象しているようにも見える。それは、現象の一部である【知】を人格として喩え、更にそれを「決して、到達し得ない」という、さもそれが人間と人間との、甘い愛の関係になぞらえているように、思わず空想してしまうのだ。

 

つまりフィロソフィーとは、【知】と【人】との人的な愛を介した蜜な関係を謳ったものではないか。つまり、そこには人間が本能的に持っているエロスが、暗喩として篭められているように思える訳なのだ。そして、その実践者を「知を愛する者〔フィロソフィスト〕」と呼ぶような、このような名に関しても、そこには、醸成されたより親密なムードが表現されているようでならない。【人】は愛を持って、【知】と対面し、そこに親密なる関係性が生まれる。そのような連想を想起させるのは、決してただの夢想ではないだろう。

 

そして、それらを根源とするサイエンスという営みがある。それは、仮説と証明を繰り返して、知を体系化し、やがて真理へと限りなく近づく為の行いである。これまでサイエンスの手法では、「主観」といわれる、哲学上では「感情」とも分類される箇所を、極力排除してきた。それは、サイエンス的手法においては、「客観性」に基づく分析が、より重要視されている為である。そしてサイエンスとはその手順の上で、厳密に体系化されたものである。またそこでは、特定のルールを厳守した中で、さらに厳密な証明を施す事を、条件とされている。

 

しかしこれは、例え同じサイエンスの仲間でも、そこから様々に分岐したそれぞれの分野では、この証明される際に使用される手法の定義は異なる。だがあえて共通しているものとして、まとめられるならば、それは基本的には、観察される対象に課せられる自身の客観性というスタンスを、厳守しなければならない事であると言えるだろう。そして恐らく、これらは広くサイエンスという分野で、取り入れられているものであろうと思われる。そうして観る対象を、客体化して分節化可能な現象として扱い、それらを普遍的とされる理論に一体系化するという事が、主にサイエンスの分野でなされている仕事である。

 

しかし、サイエンスが勃興する以前の更に昔では、また事情は違っていた。特に古代哲学においては、人間としての在り方を、根源から問うという側面がより強く出ていた。それは、現代サイエンスのように、経済活動に直接応用されているような、実用的なものとは、また違うものであった。特に現代では、サイエンスの果たす役割は、純粋理論の分野だけではなく、応用理論としてより実用的な面に、幅広く利用されている。またサイエンスの発達と、人類の進化は、時代が進むに連れて、より加速的に密接な相乗効果を生み出している。このようにサイエンスとは、古代哲学が、「知を愛する〔フィロソフィー〕」と表現されるように、主に「人間の心の営み」に関して影響を与えていたものとは、違うものに発展して来たと言えるだろう。【しかし、数学の起源のような、農耕との関わりが深くあったとされる分野の研究もある。】

 

このように古代哲学においては、より良く人間が、僅かな期間の狭間で生きるという事に、どれだけの意味を持つ事が出来るのかを模索してきた。更にまた、より良い生き方とは、どのような意義を持ち得るのかという事を、広く探究されてもいた。つまり古代において哲学とは、人間がより良く生きるための智慧を、授かるための手段であった。

 

そうして古代哲学においては、精神、神の存在、また魂や美という現象を通して、この世界の根源を探究しようとした。そして、そこから様々な流派を派生させながら、人間の生という現象を模索して来たのだった。もちろん、その対象は、人間だけという事でもなかった。それは「自然」に関する好奇心がそうである。流派の中には、世界を構成する「自然」の根源を究明したいとした派閥も存在していたのだ。またそれらは、哲学と区分され自然哲学と呼ばれていた。そうして、この世界の根源を究明したいと湧き上がる欲求めいた感情や、またそれらを発端に、現実世界に内在する、様々な現象の根源を探究していこうとする哲学を、総括して形而上学と言われている。

日本の誇りとしての漢字熟語 〜英語公用語化は、なぜ問題なのか?No.2

施光恒・九大大学院准教授「英語押しつけで日本人は愚民化」-日刊ゲンダイ デジタル-

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162236?pc=true

 

巷の本屋さんには、外国の学術書が所狭しと並んで居ますね。これは、日本の翻訳のレベルの高さを意味しているのです。が、今の日本で、国外の学術文献を日本語で読めるのは、明治維新後に当時の賢人たちが外国語の文献を日本語に翻訳し、さらにその大元となる漢字熟語を造ったからなのです。しかも、そういうモノが当たり前に流布されている国は、特にその当時はとても少なかったのです。

 

それに国外の学術文献を、それも最新のトレンドを母語で読める国もまた少ないのです。ましてや、岩波文庫、筑摩文庫、そして講談社学術文庫のような名だたる学術書が、一般の書店で並んでるのが常態化していて、またそういう光景が当たり前である国は、日本国外ではあまり見かけないようなのです。しかも文庫本というサイズで、そこそこリーズナブルな値段で買えるものとしては、破格のようです。また特記すべき事に、そのような学術書を、貧困層であろうが富裕層であろうが、あらゆる層の人が、お金さえあれば買えるような国はもっと貴重らしいのです。

 

現代の日本で、教育の場でも趣味の範囲でも学術が広く普及しているのも、一般の庶民が理解しやすいように、尽力した明治時代の賢人が居たからなのです。今読める学術書も、彼らの不断の努力による結晶なのです。そうこれは極端な話ですが、これまでの日本の勃興の源泉こそ、彼らの尽力が故と言えるのです。

 

特に明記しなければならないのは、国外の学術を「日本語に翻訳した」という事なのです。そこにこそ、当時の賢人が果たした重要な意義はあるのです。そして、そうした尽力と共に施行された重要な制度があります。そう、それは学校制度です。当時、教育勅語が謳われて、その号令の下に学校法が制定されました。そしてその号令と共に、そこへ大勢の人が甚大な労力を注いだのです。このような賢人の驚異的な学習力と、それを国民に広く普及させる為の学校制度こそ、それらは目くるめく時代の世界情勢と相関しつつ、日本国においては、富国強兵や殖産興業との政策と、相乗効果を生み出していったのです。

 

このように、国外の学術を母語である日本語に翻訳し、さらに学校制度を通して大勢の人が学ぶ事が可能になった、それは明治の賢人による賜物なのです。このような時代の流れにあって、結果的に、国民に広く学術を学ぶ機会を与えることになりましたが、それらは学校制度の歩みと共に、より広範に行き渡ることになるのです。しかも特記すべき事に、当時の公的教育の場のほとんどは、母語である日本語で行われていたのです。

 

そしてこのような、大勢の人たちの膨大な労力のお陰で、現代でも日本国として確固たるアイデンティティを保つ事が可能になるのです。かつてのように国外の文化を日本語に翻訳して、それらを自分の文化として吸収する。それも国外の言語に、まったく迎合するのでもなく、逆に自国の文化に翻訳して図太く吸収する。それはとてつもないエネルギーだったでしょう。またその甚大な底力こそが、当時、植民地支配が横行していた、動乱の時代を生き抜くための知恵だったのです。

 

このように欧米各国の植民地とならないために、当時の賢人たちは尽力したのです。それは、脅威である国の文化を、ただ恐れるのではなく、逆に学び吸収する事、そしてその途方もない努力が、植民地とならないためには絶対的に必要である事を、当時の賢人と高官は見抜いていたのです。つまり「敵を墜とすためには、まず敵を知れ」という事です。

 

そのように植民地とならない為に、当時は一心不乱だった。この当時を無くして、現在の日本は、おそらく存在していなかったでしょう。当時の賢人、そしてなによりその時代の潮流に大勢の人が尽力した事、これらの出来事がなければ、とうの今頃も日本はどこかの国の植民地だったでしょう。この事は、歴史家にもそう言っている人がいますね。

 

また、当時の欧米列強国と肩を並べる事が出来たのも、ただ運が良かっただけではありません。それは当時の欧米列強国の知識や学術を、日本語で学び自分の身に吸収したという事が、その大きな理由の一つとしてあるのです。決して欧米各国に迎合しなかった。この事が、その後の日本国の運命を決定的に変えたのです。

 

しかし欧米各国から学術を学ぶにはまず、国外の言葉をマスターする必要がありました。なぜなら、その当時は、翻訳もなにもなかった時代だったからです。国外の言語を学ぶこと、それは必須でした。だからまず欧米各国の言葉をマスターしなければなりませんでした。そのような習得なしで、国外の最新のトレンドを学ぶのは不可能です。それもマスターしなければならなかった言語は、ただ英語だけではありませんね。それは無数にありました。

 

その当時、ドイツ語やフランス語など、その国の言語を学ばなければ、一片もその本義を身に出来ないような最新の学問に溢れていました。それを当時の政府は各国の語学に精通した人を集めて、各国に派遣し回りました。その中には、かの夏目漱石もいました。彼もそういう名目で派遣され、当地でノイローゼになった逸話は有名ですよね。

 

そして視察団が帰国した際に、次々と欧米各国の科学や思想を翻訳していったのです。そしてその時に大量に造られたのが、現在、巷にも溢れている「漢字熟語」なのです。欧米各国の科学や思想の翻訳こそ、その視察の本当の目的であり、そして大きな成果です。そのような成果により、漢字熟語が大量に発明され、その絶大な利便性と、学校制度が開始された時代の流れとに相まり、学術はより一般的な形で行き渡る事になりました。

 

またそれらは、一般庶民の為により噛み砕いた形に集約され、それは「学問」と言われていました。それは、学術の本質を広く国民に普及させるためのもので、今で言うところのハウツーに当たるものでした。それも当時の国民に広く行き渡る事になります。その契機となった書籍の中でも、福沢諭吉の「学問のすすめ」は有名ですね。あれは学術のスタイルを、生活の知恵レベルにまで、還元化したものでしたね。

 

そういう国民に分かりやすく学術の本質を学んでもらいたい。それはアテネ文庫というシリーズにも、その意向が反映されていたりします。これは現在でも復刻版として再版されています。また、富国強兵や殖産興業といった政策の一環でもあった、欧米各国の学術書を翻訳するという作業にこそが、ここはあえて端折った言い方をすれば、その功績で、現代の世界情勢にまで影響を与えてもいるのです。それほど、明治の時代に造られた漢字熟語は貴重なものなのです。

 

つまり以上のような明治の史実にこそ、現代の日本に引き継がれるべき精神が宿っているのです。かつて江戸の鎖国という保守的な時代から、ときの明治維新の開国により、その瞬間から膨大に異文化を取り入れるようになった。それも植民地支配の魔の手が、刻々と迫り来るひっ迫感の中でです。それは、甚大なエネルギーであったでしょう。でも、筆者の知識的な技量と紙面の兼ね合いで、どうしても掻い摘んだ形となってしまいました。

 

そして、ここで参照の記事に話しを合わせると、以上に書いた内容にこそ、日本の右翼の本性を成すものがあるとも言えるでしょう。しかし、今の総理が改革を起こそうとしている、大学での英語公用語化の案も、かつての賢人による不断の歴史的尽力の鼻を、結果的にへし折る事になるのではないでしょうか。異文化の膨大な翻訳、またはその甚大なエネルギーにこそ、連綿と続く日本の歴史に精通する魂があります。よって、その翻訳の賜物である漢字熟語こそ、その日本の誇りが、濃厚に結晶化されているのです。だから、この不断の精神を、決して途絶えさせてはならないのだと思います。

 

このように日本の歴史の叡智が濃縮されている漢字熟語を半ば廃止し、公用の一部を英語に一本化させる、このような事態は、これまでの圧倒的な歴史的努力の結晶を、全て葬り去るのと同じなのだと思います。それでこの参照の記事で言うところの「英語圏への隷属」というのは、このような明治開国以来の、日本の不断の努力の精神を、蔑ろにするという訴えなのではないでしょうか? 日本国の勃興という歴史的な誇り、それを象徴するするのが、当時発明された漢字熟語なのです。

 

日本語という母語公用語として、現代でも存立しているという事と、そして高等教育を、その母語である日本語で学ぶ事が可能であるという事、それらは、たんに偶然なのではありません。侵略しては国を拡張し、侵略されては、富や、挙句の果てには伝統もが丸ごと潰されるという、怒濤の歴史の渦中でも、日本という国が確かに独立を続けているのだ、という証なのです。

 

現在の日本のように母語が隅々にまで公用されている、しかも高等教育までも母語で行なう事ができる。このような国は、意外とあまり存在しないのです。よって、このような事実こそが、日本という国が豊かに成立しているという事、また、一国として独立出来ているという証となっているのではないでしょうか。

グローバリズムを生き残る 〜英語公用語化は、なぜ問題なのか? No.1


昨今、大学や企業、そしてアカデミックな研究施設での英語公用語化の流れが起きつつある。グローバリゼーションの流行が世界のあらゆる機関に浸透して行く中で、日本国の内部にも徐々にではあるが、影響しつつある。

 

今でも電車に乗ると、英語教材を片手に、ぶつぶつと内容を復唱しているサラリーマンに出くわす事がある。あの楽天も、英語の公用語化に尽力しているらしい。グローバリゼーション、平たく言えば英語圏域の拡張と、市場主義の拡大は、良い効果を期待できるのとは裏腹に、それ相応の悪影響の方も、また懸念されなければならない状況を生み出して行くだろう。そのような影響は、英語圏以外の各国にも、これから深く侵食して行くだろうと予想される。

 

グローバリズムによって英語を話す人はぐっと増えて行くだろう。しかしそれは、英語を話す高級人材と、話せない下流の労働者という、さながら過去の貴族と平民、インテリジェントとイグノラントといった階級制の再来のようにも感じなくはない。英語圏域の拡張と権力の寡占は、これからこの世界が英語圏域にフラット化して行くという事である。

 

グローバリゼーションとは、広大な世界の可視化に伴って、個人の視野と可能性を拡げる善良な動向なのだと思われるだろう。しかしようは、国内の差別、格差などの社会問題も、つまり良いも悪いも同様の構造が世界中を通して均衡になって行くという事でもあるのだ。

 

ようは、拡張して行くのは個人の可能性もしかるに、同じ国の中の社会問題も、国境を超えて同様になるという事である。ことさら異言語の文化を吸収し、迎合して行かなければならない運命にあるような国にとっては、アイデンティティ・クライシスの問題も、また社会問題化して行くだろう。そのような国では、大抵教育を異言語で受けなければならいくらい、教育インフラが整っていないケースが多くあるように思う。

 

しかし、日本の場合は、幸いな事にそうではない。日本の国では、どのような難解な理論も、大抵は日本語の文献で学習する事ができる。日本は、外国のものを自国の言語に翻訳するという事をよくする。この翻訳の文化こそ、奥が深い歴史があるのだが、近代においてそのような翻訳の文化は、帝国主義から身を守るための、 知恵を授ける契機ともなった。

 

日本国においては、国外の文化を日本語に訳していなければ、戦争に負けていただろう。つまり、国外の文化を翻訳し、日本語化したという功績こそが、日本という国を存続させたという事なのだ。そして後世に、日本という国の持つポテンシャルを周囲の国に強烈にアピールするきかっけを作ったのだ。

 

それは結果的に、日本語という母語に誇りを持てた、という良い結果も生み出した。これまで世界に対して日本のブランド化を成功させてきたのは、決して、英語圏域に隷従してきたのでも、または英語という言語に一方的に迎合してきたからでもない。それは、日本語という母語の威信と確信が、過去の体験を通して、大きく確立され、自信を持って行使されてきたからだ。

 

また、国外の商品に日本語を記す事を可能にさせたのも、日本語の持つブランド力の他ないであろう。このように自国の母語に自信と誇りを持てる、これこそが本当の自国の持つ秘めたるパワーなのではないか。母語への威信は一国の活力に繋がる、それは、文化の魅力、はたまた経済の力でもそうである。グローバリゼーションによって、世界市場は活性化するだろうが、とどのつまりグローバリズムでの成功こそは、相手国と対等に渡り合える程の誇りを、母語を基軸に、強く確信出来ているという事の裏返しではないか。

 

経済的な自信は、誰よりも英語を話せるという優越感の中ではなく、なによりも母語を持っているという誇りの中にこそ、あるべきである。このような事は、過去、幾度の略奪と奪還を経てきた、歴史が証明している史実である。

 

それこそ、英語を話せるようになった事に優越を憶えるのではなく、日本語にこそ誇りを持つべきだという論の論拠である。学校教育での英語履修も大切だが、それに付随して、日本語という母語に誇りを感じる事のできる教育もまた必須であると、思われる。