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介護保険制度の限界を考えてみる 〜社会福祉、および社会主義の終焉〜

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 安倍政権もくろむ「要介護1,2外し」で介護破産に現実味 【日刊ゲンダイ】 2016年3月5日

 

今はこういう取り組みがある一方で、定年退職したお年寄りが担ってる、もっとアバウトな仕組みのより安い家事代行サービスもあるんだよね。また、そういうお年寄りの中には、元職人みたいな人も居るようで、サービスもすごくリーズナブルらしいね。植木の手入れとか、DIY的なちょっとした軽作業にも、こういう職人さんが居ると助かるよね。

 

これは、退職したお年寄りにとっても、老後のささやかな仕事になる訳だし、またサービスを受ける利用者の方も、ほぼ同世代という事で、フランクに頼みやすいというメリットもあるようなんだよね... また歳が近いとそれだけ会話も弾むようなんです。しかも介護を受けたいと思っている人の中には、たんに話し相手になって欲しいとか、軽く掃除して欲しいとかね、別に保険制度通さんでも良いやん? みたいな小さなものが多いんだよ。

 

また実際みやすけが介護してて、それって介護保険に適応するの? と疑問符が浮かぶものもあるもんね。でも、こういう代行サービスは、めんどうな手続きも必要ないし、また色々細かく機転も効かせられるだろうから、そっちの方が良いケースもあるんだよ。たぶん、思っているよりかもはるかに多くね。

 

でも巷では、この手の話に批判も多いよね。弱者を介護保険制度から排除するな! みたいなね。けど、みやすけ的には、お堅い制度で、いつまでも窮屈にサービスを受けるよりかも、グレーゾーンはどんどん介護保険から外してしまった方が、サービスを受ける方は、むしろ勝手が良かったりするんだよ。

 

今、政策しなければならないのは、制度から外れてしまってから、再びどこかで支援してくれる受け皿を作る事よ。だからNPO法人みたいな、またそれよりもよりアバウトな法人をもっと充実させて、柔軟に広く支援できるような仕組みを、いろいろ作れたらなと思う次第なのですよ。

 

しかし批判する人の中には、かつて日本政府が、社会主義的な福祉社会を目指しててみたいな記憶があるんだろうね。つまり人は社会が見るべき、その元締めに国があるべきだと。けど、今はサービスのニーズも多様化してて制度化こそが追いついていない。そんな現状の最中で、とどのつまりは「社会福祉」という理念が、成り立っていないという事なんです。そもそも本質的にそんなのが成り立つはずもないのですよ。特に介護を必要とする人口が最も多い今の時代はね。

 

むしろ介護保険制度みたいな国の制度に固執してた方が、排除される人は多くなるんだよ。逆説的にね。だからこの手の批判は、どこか間違ってるんです。それに一億全てを保険でまかなおうとする発想が、そもそも理念先行型で古い。それなら一部でも良いから、あやふやなグレーゾーンは保険制度から省いた方が良いんです。その方が多様なニーズにはずっと合わせやすい。

 

そう考えれば、ここで足りないと気づくのは、人員でも、お金でもないんですよ。人員も充分に居るし、お金も保険でまかなおうという事をしなければ足りないという事にはならない。つまりそれは何か? そうです、圧倒的に、その後の受け皿の方なんですよ。

 

そもそもね、批判してる人がイメージしてるような社会主義は終わりなんですよ。ましてや社会福祉なんてものは以ての外! これは今の経済もそうだけど、国があれこれちょっかい出して、全体をコントロールする時代は終わってるんですよ。いつまでも、ケインズ万歳では居られないんだよね。これは世の移り変わりで、いずれそうしなければならないんです。なのでみやすけは、介護保険制度の一部解体は万歳よ!