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心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

選挙の投票率は高ければ良いのか? 〜ノンポリシーの票が政治を空虚にする〜

今回も、あっさりと自民党が圧勝しましたね。これは大抵の人たちにとっては、大方予測済みだった筈です。そしてここで、みやすけは感じた事がありました。これは過去の選挙でも、また、特に今回の選挙の結果を受けてもそうだと確信出来ることがあります。それは、「なんでもかんでも、みんなが無闇に投票してはいけないのだ! 」という事です。結論を先に言えば、こういう大量のノンポリシーの票が投じられる事で、本当に困ってる人の声を薄くするのです。それはどういう事か? 以下、解りやすいように詳述してみましょう。

 

そもそも政治とは何でしょう? それは万人が自称インテリを気取る事なのでしょうか? 様々な意見があると思いますが、よく考えてみましょう。やれ一般意志? 自律した個人? 挙句の果ての理性的な主体? 政治学の世界には、このような用語がたくさんありますよね。しかしこのような、ピュアな概念を用いて、本当に現実の政治が可能なのでしょうか? そうですね、これらは常識的に考えて、この世にはありえない代物ばかりなのです。ましてや、このような概念を満遍なく備え合わせた完璧政治人間、そんな存在など、この世界には居ません。そう、それが存在する事、それこそまったくあり得ないのです。そのようなムリな概念を礎にして、現代の政治的理念はあります。そう、現代の政治は、こうした虚構の上に作られている訳なのです。

 

本質的に「政治」とは、本当に困った人の為にあるべきなのです。少なくてもみやすけはそう思います。誰彼にも誠実な政治、そしてみんなの政治とは、言葉の節回しでは美しいのですが、果たして本当にそういう理念の美しさだけで、政治を創っても良いものなのでしょうか? みんなの政治、そういう理念はある意味では、もっともなのですが、そういう言葉は、本当に大切な部分を切り落とす事にもなり得ます。その問題の核心にこそ、政治的にノンポリシーな存在と、深く関係する訳なのです。

 

とどのつまり今回の選挙では、このノンポリシーの票こそが、困っている少数の人達の掛け替えのない一票を、いかに稀釈してしまったのかが、はっきりと見えたような気がしました。今回も自民党が圧勝しましたね。これは半ば予想通りの結果でした。しかし、今回の自民党の圧勝とはどういう意味なのでしょうか? そうです、これを言い換えれば、それは生活がそこそこ安定していて、将来に対して、それなりに不安もない人達の大成なのだという事を、如実に表しているのではないか。そう思います。

 

しかし、考えてもみてください。そもそも今の生活にある程度満足してますみたいな人が、政治的に主張する事は必要なのでしょうか? 決して先行きも不安定ではなく、かつそれなりに生活の満足度も高い彼らにです。いいえそんな彼らには、政治的に主張する必要はないと、みやすけは思っています。

 

生活がそこそこでも安定している人たち、そんな彼らが必要とするものこそ、それはせいぜい「現状の維持」なのだという事が推測される訳です。そんな彼らは変化を嫌うでしょう。自分の立場が危うくなる可能性を見越してまで、ムリに変化を求める事はしないと思うのです。また、これが本当なのだとすれば、そういう人たちはどこに投票するでしょうか? そうですね、なんとなしに自民党に入れる事でしょう。なぜなら、これまでの日本社会が、ずっとそうだったからです。

 

いわば自民党とは安定の象徴みたいな存在なのです。それは戦後の日本の歴史そのものだからです。あらゆる日本の歴史的事件も政策も、また良いも悪いも、そのほぼ全てを歴任されてきた安心できる唯一の政党、それが自民党なのです。そういう今の世の中が自民党を求める動機こそ、そこに日本国民の安定志向が表れているのだと思います。

 

こういう事からも改めて解るように、みんなで創る政治とは、そもそも幻想なのです。みんなが合意する清き政治とは、かつての共産主義国家、社会主義国家でもありえませんでした。たとえそれが誰かの為の政治であるなら、それは誰の声なのかを明確にする必要があります。しかしそれには、投票率が高いという事、それだけでは何も判りはしませんね。むしろ、得票数の高低は、必要を訴える少数の声のボリュームと反比例するようにも見えます。

 

でも、投票率が高ければ高いという事、それは政治がよりよく機能している証拠だ。そういう人たちが、巷には居ます。しかし彼らの言う事は、果たして本当なのでしょうか? みやすけ個人が現状を見る限り、そんな事は、あんまり無いと言えそうです。

 

投票率とは、いわばその選挙に国民が参加した度合いを示す指数ですね。だから、高ければそれだけ政治がより良く機能しているんだ、こう分析するのはもっともに見える話です。しかし、その投じられた一票はしっかりと吟味された上のものなのでしょうか? さてそれは本当にそうでしょうか? いいえ恐らくは、ほとんどの票がそうではないと思います。これは自分の投票を考えてみれば解るのではないでしょうか? あなたはきちんと、その一票を吟味していますか?

 

またそれは毎回毎回、選挙がある度に自民党が圧勝する場面を見れば、一目瞭然です。国民の大方は変化ではなく、現状維持を求めている。恐らく、それを求めるのは、別に現状に窮しているからではなく、なんとなしに安定を感じているからです。その象徴こそが、自民党の度々の圧勝なのだと思う次第なのです。

 

このように政治とは、特に日本の場合は、生活が安定して、普段そんなに不満が無い人は、自民党に入れる。労働問題でこまねいている人は、共産党社民党に入れる。また、思想的にリベラルな人達は、リベラルな政党に入れる。これは当たり前の傾向なのです。政党に投票するなんてものは、そういうものなのです。

 

しかし、生活が安定していて、それほど不満がない人の票は、そんなに必要でしょうか? そういう人たちは毎回、現状維持の為に自民党に入れるでしょう。だから、いつでも自民党が圧勝するのです。それは生活に困っている人よりかも、それなりに満足している人の方が多いという事を反映しているのです。これが日本の現状なのです。しかしこれでは、現状に窮している人たちの声が届く事は、未来永劫訪れないままでしょう。それこそ彼らがマイノリティーである所以があります。

 

しかもこの推測が正しいのであれば、日本の保守とは、たかがそんなもんだという事です。空気というか、場の雰囲気がそうだから、または、今の生活が安定してしてるから、現状維持に直向きになる。ついでに懐古に浸って日本再生とか言ってみたりと、もうめちゃくちゃですね。これらは、保守というよりかは、お年寄りとかが昔を懐かしんで、想い出話に花を咲かせる、そんな程度のものなのでしょう。その風流さにたまたま政治が絡んでいる、だから周囲からは破茶滅茶に見える。

 

しかもかつては、国防の事も相当マスコミからツッコミを入れらてはいたけど、今回はそれさえも争点にならなかった。どとのつまり今回は「何の為? 」とも思えるのもさながら、実は「一体誰の為? 」という部分も相当判らない、そういう選挙だったと思います。

 

しかも今回からは、18歳からの投票が可能となりました。しかし、その約半数の票が、自民党へ流れてしまったようですね。それは公約がどうのこうの、政策がどうのこうのという模索の結果ではなく、なんとなく皆んなこうしてるから、取り敢えず空気で入れといた感が見事に出た結果となりましたね。やっぱり自民党は、こういう部分で得票数を得るのがすごく巧い、そう感心してしまいました。

 

 

18歳と19歳の有権者 出口調査の結果 [NHK NEWS WEB]

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160710/k10010589981000.html