心象風景の窓から

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"個人規模的な経済圏"を迎えて 〜個人経済学への誘い〜 Part3

現代の経済の中では、合理化による経営の最適化が流行している。現代の大企業は、もはや産み出す事を辞めて、節制の経営によって、なんとか首の皮一枚で、上場しているに過ぎない。しかし、これからの経済では、行き過ぎた合理化は、むしろコストを増大させるだろう。今の社会では、

”個” を主体としたニーズで溢れている。しかし、大量消費を目論みとする大企業の理念では、このような最小単位のニーズに応える事は、ほぼ不可能に近い。

 


そこで、合理化を主とした経営理念を追行しようとすると、”個” に対応するニーズとの間に誤差が発生し、最小単位のニーズと、大量消費の理念との間で、基本的なマッチングが発散してしまうのだ。時代は、最小単位としてのベクトルの流れを如何に読めるのかという慧眼にかかっている。その中で、大量消費、大量生産を基本とする大企業の理念は、必然的に、最小単位のニーズを前に、コストを増大せざるを得なくなるのである。

 


このような最小単位の経済は、”ナノ・エコノミー” と言う事ができるだろう。大企業を基軸とした、これまでのミクロ・エコノミー、マクロ・エコノミーという見方ではなく、もっと消費と生産との本質に向き合った形の経済理念が必要となってくる。ナノ・エコノミーとは、最小単位のニーズに沿った ”個” をベースとした経済理念である。”個”からこれからの経済圏は、発展するのではなく、循環する経済に移行するだろう。

 


そうなれば、これからの経済にとって、人口との相関は、これまでの人口理論とは、大きくかけ離れたものになるだろう。これまで政府は、人口減少と少子化による経済の影響を憂慮し、特に出生率の増加の為の政策を施行している。しかし、これからの経済的な原動力は、これから出生率の増加と結果としての人口増加によって無価値化して行くだろう。

 


サービス産業ががあまりにも行き過ぎた経済圏では、人口の増加と比例して、経済的価値そのものが離散してしまい、経営的合理化そのものが、むしろ全体の効率を下げてしまう事になるだろう。そう、経済の理念が、これまでのような大量消費、大量生産の理屈で成り立たせようとする限りにおいて、経済的損失の方が、増加して行くだろう。それは、大企業を主軸とした、国家運営の在り方を抜本的に見直す時代の到来を予期している。

 


“個”のニーズを主体とした経済においては、これから子供をどれだけ作ろうが、結果的としての経済的発展の動機にはならないだろう。大企業を主軸とした大量消費、大量生産を掲げた経済的原動力の根本が失われつつある現代にとって、子供が増える事とは、需要と消費が増えるかも知れないという事だけがメリットであり、人口増加の率と経済的発展の率とは、全く相関しないだろう。これからの経済では、”個”を基調とし、その中で、どれだけ円滑に資本が流れて行くのかという事が、重要となる。

 


その為にはまず、大企業を解体しなければならないだろう。そしてその下部構造としてのマス・メディアとしての役割も終わりを迎えるだろう。そんな中で、一般大衆という集団を形成することも不可能となる。一人一人が”個”のニーズに沿って、消費と需要を一致させる経済、そこでは様々なナノ・ニーズが需要を喚起し、そのニーズによって経済が循環する。ナノ・エコノミーとは、循環する経済である。

 

そこには、大企業による市場の寡占も、大量消費、大量生産による一般大衆の扇動も存在しない。存在するのは、ナノ・ニーズに則った流動的な経済圏であり、需要と供給の管轄するレンジが膨張と縮小をランダムに続ける、カオティックなエコノミック・フィールドである。もはや、ナノ・ニーズを面前に、需要と供給は、一般大衆と大量消費というイコールの等式から解き放たれて、世の中の資本の流れは経済的動態と化し、その絶え間の無いカオティックな流れは、経済的非対称性のモデルを構造化するだろう。唯一の経済的指標ももはや成り立ちはしない。むしろ、経済的離散の程度を表す係数が、多様な写像を描けば描く程に、その内側にリンクしている経済的動態の活性化を意味している事になるだろう。そして、このようなナノ・エコノミーが活性化すればするほどに、統計学的な有効数値の意義が雲散霧消となるだろう。

 


また、傾向を表す統計的なベクトルの振る舞いは、ナノ・エコノミーを円滑にさせるべき原動力の妨げとなる。小さな供給から、莫大な需要が見込まれ、また膨大な供給の割には最低の需要しか見込まれ得ない経済圏とは、これまでの人口学的な見地からは、何もそのヒントを見越す事が出来なくなるだろう。このように議論を重ねると、ナノ・エコノミーとは、"個人規模的な経済=Indivisible Economy"とも言い換えられるだろう。