心象風景の窓から

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"生み出す経済"から"循環する経済へ" 〜マイクロ経済学への誘い〜 Part1

現代の経済は、経営の合理化によってコストを下げる事によって、会社の利潤を増加させるという程で成り立っている。2017年度の会社利益率を見ても、過去最高を謳っているが、その殆どの企業では、過去、人員の大幅な削減や、非正規労働者などが数多く携わっている企業の名が連ねている。つまり、現在の経済では、コストを如何に、限りなく最小に抑える事が出来るのか。それは合理化を元に、経営を最適化し、無駄の無い資本の流れの中で、利潤率を上げるというやり方である。つまりは、隙間から零れ落ちていく資本を、すくい上げる事によって、その効率性を利益としているという事である。

 

しかし、経済とは、価値を生み出す事に、その意義はある。経営の合理化とは、コスト面でのサポートには適しているイデオロギーであるが、その真価となる ”価値を生み出す” という経済の本質からは、全くズレたものでしかない。経済的価値を生み出さず、さらには、経済的活動には不可欠である筈の必要経費を ”コスト” と言う、その潔癖症とも取れる意識の中で、合理化というイデオロギーを量産している。このような現代の経済は、何も生み出さない、節制による最適化経済である。

 

モノを生み出さず、滴り落ちる雫を拾うような経済に、経済的成長など見込める筈もない。経済的成長とは、無価値からそれだけ価値を生み出したかという指標の表れである。そのような、経済の本義を見失い、節制に徹する大企業、そしてそれに牽引される国は、いつかその限界を迎える事になるだろう。

 

”ものづくり” によってこれまで日本は発展して来たが、このような経営の合理化の流行は、もはや ”ものづくり” で生計を立てる時代の終焉を意味しているのだ。特にサービス業などの第三次産業の発展に伴って、サービスそのものが経済的価値を伴い、需要と供給を媒介するようになった昨今、合理化に勤しむ大企業は、これからの世界を生き抜く事は不可能だろう。

 

経済であるからには、価値を生み出し続けなければならない。それは資本主義の宿命でもある。しかし価値を生み出し続ける経済には、自ずとその因果の中に、それ自体を自己矛盾へと誘う因子が内在している訳である。誰だって、経済的成長が永遠だと思わない。自分の身体だって、成長の後は衰退の一方に、落ちて行くだけである。それは、成長を謳った生命の身体であるからであって、”産み出す” という宿命を背負う限り、生命は、いつまでも生と死を繰り返す。”産み出す” のではなく、”循環” させるという意識を持つ事によってのみ、生命は、成長と衰退からのカルマから抜け出す事が出来るのだ。

 

これと同じように、経済も、”生み出す経済” と “循環させる経済” という二つの形態を考える事が出来る。サービス産業にいわれるモノは、この二つの経済の均衡の基にあるものである。生み出すだけの経済は、結果、合理化の号令の下に、最適化を余儀なくされている。これは、いわゆる

”生み出す” をテーマとしていた経済の終焉である。

 

時代は、価値を生み出すだけの価値を求めてはいないのだ。今こそ、経済は ”死と生” を繰り返すだけのイデオロギーを求めていない。このようなイデオロギーではなく、これからの経済は、これまで生み出したモノを俯瞰し、整理し、循環させる ”サイクル・エコノミー” の時代の到来を待っている。経済は、サイクルを生み出す事によって、死と生のカルマから脱しなければならない。

”産み出す” という行為によって、生命が ”死と生” の輪廻に縛られるように、これまでの経済は、

”破壊と再生” を繰り返して来た。しかし現在、このようなイデオロギーから目を覚ます時代が来ている。

 

”産み出す” のではなく、あらかじめ産み出た価値を ”循環させる経済” 、その真価とは、経済そのものをより円滑に持続可能なものにする為のものである。モノを産み出すという第二次産業的な、大量生産、大量消費の時代は終焉しつつある。それは、2017年度の会社利益率の発表を見ても一目瞭然である。今の大企業は、産み出す作業を放棄している。コスト削減の為に、人材をリストラし、経費にかかるコストを合理化の元に最適化しようとする。それでも純利益としては、十分な数字は弾き出されるだろうが、しかし、それが今のこの国のGDPに反映されていない現状を見るに、如何に、日本の大企業が価値を産み出す事を放棄したのかが、如実に解るものとなっている。

 

第三次産業にとって、需要と供給は、必ずしも同相となる事はない。小さな供給から莫大な需要を見込む事も可能であるし、その逆に、大きな供給にも関わらず、小さな需要しか見込まれないという事態もあり得る。そして実際これらのケースは、現代では多岐に渡っている。つまり、必ずしも、需要と供給は、イコールで結ばれたものではないという事である。時代は、等式を求めてはいない。数式を解けば唯一の解に導かれるという、単純さは、むしろこれからの時代の要請の中で、放棄されるだろう。

 

いつの時代も、インパクトを求めているが、その規模は、決して大きければ良いというものではない。時代は、”個” を辿り、循環して行く中に差し掛かっている。それは “産み出す経済” の基盤をアップグレードし、内容をアップデートする事である。時代は、大企業という大黒柱を求めてはいない。個人が自由意志を基に、自ら信用を会得し、それらを廻る事によって価値を最小の単位から生み出す時代である。つまり、”価値を生み出し、循環させる経済” の到来である。