心象風景の窓から

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現行憲法の国民に対する義務を問う 〜体罰は是か非か?〜 No.2

では、この問題をもっと大きなフィールドに拡張した場合では、どのように解釈できるでしょうか? 現在、日本国憲法には、国民の三大義務の一つで「教育を受けさせる義務」という文言が明記されていますね。そもそも事の発端となった学校制度は、明治に発布された教育勅語からその源流があります。それは富国強兵、殖産興業、と名を打って中世江戸の閉鎖的な小国から、近代資本主義国家として趨勢を果たすために起こした、明治の政府による政策です。国をイケイケに発展させて、ムキムキに強くする。教育とは、このような政略の一環として樹立したものなのです。そしてこの背景には、当時の国際社会の情勢が深く関わっていました。

 

日本国が明治維新を果たした当時の国際社会の情勢とは、植民地支配や帝国主義などが趨勢を得ていた時代です。かつてペリーが、江戸湾浦賀に入港したのも、当時のアメリカの政略として新マーケットを開拓する為に、未開国だった日本を開国させたいという思惑があったとされています。当時のマーケット開拓というのは、いわゆる土地の独占です。当時のマーケティングの論理は、他所の土地を独占して、その土地から様々な物を搾取する事を意味していました。

 

当時は、金品が増えると、国が豊かになるという理屈がまかり通っていた時代です。だからその外貨や物を求めて、時の列強国は、各国の土地を支配し回っていたのです。これを俗に植民地主義と言います。そして、金品が増える事で国が繁栄して行くという思想、これを重商主義と言いますね。

 

そして、その頃の植民地主義重商主義の猛威が、各小国に吹き荒れる中で、ほとほと開国を果たした当時の日本は、必然的に、富国と強兵、そして産業を発達させる必要性に迫られた訳なのです。すべては、日本という国のメンツと伝統を守るための政策だった訳です。そう、列強国から伝統という財産と身を守る為に。つまり本当の意味での教育というのは、当時弱小であった日本が、大日本帝國として富国と強兵、そしてそれに伴う一国の繁栄を目指した中での政策だった訳なのです。またそれらは、植民地支配からの防衛という意味合いも非常に強いものでした。つまり当時の教育という目的には、国を強くし繁栄させて、敵国から防衛するという明確な動機が存在していたのです。

 

ところが、現代ではどうでしょう? 現行の憲法にもこの「教育を受けさせる義務」は明記されていますね。でも、現代にとっての義務とは、何ゆえの義務なのでしょうか? しかも「教育を受けさせる」とは、ちょっとよく分からない表現ですよね。「受けさせる」とは何か? 実はこれ、子どもが主語なのではないのです。では誰か? そう、この明文こそは、「親」の方に、向けられたものなのです。親に対して「子どもには教育を受けさせないとダメだ」と勧告している、そういう訳なのです。つまり子どもというのは教育を「受けさせられる」側なのです。

 

しかし現代では、このような義務も、富国強兵のためでも、殖産興業のためでもありえなくなっています。高度資本主義と化した現代にとって、このようなイケイケの政策は、もはや時代遅れなのです。かつてのように、みんながガンバれば国が成長する時代は、とうに失われています。むしろむやみに働けば、それだけ損をする、そういう時代なのです。しかし、現行の憲法に明記されている義務とは、大日本帝國憲法の明文をそのまま敷衍したものなのです。そう、このような義務の明記こそ、これは、時代遅れの象徴なのだという事です。なぜなら一国が無限に成長してムキムキに強くなる、そんな時代はとうに終焉に伏しているからです。

 

また現代の改憲論も、国防と人権の方に眼が一方的に向きがちなのですが、しかしこうした国民の義務に関する議論は全く見られませんよね。今の政府にとって、現行の憲法が不具合を招くものだとすれば、それはそのまま国民に向けられる義務も、また不具合を起こすものである筈です。

 

では国民に対する義務とは、実際一体何を目的としたものであるべきなのか? 大日本帝國憲法をそのまま敷衍した現行の憲法ではなくて、現代の風紀に沿った形の新たな憲法が必要なのではないか? それは決して国防論や人権だけではなく、もっと身近な事柄を規定しているものを。

 

それは「教育を受けさせる義務」を含めた三つの国民に対する義務も、またそうなのです。はて一体、現行の憲法に明記されているような主権とは、何に関しての主権なのか、また国民とは一体誰の事を指すのか、そういう様々な疑問の中で、果たすべき税制とは一体何を規定するものなのか、という事を真剣に考えなければならない時が、きっとこれからは来るでしょう。

 

それは日本という国のバグなのではなく、グローバリゼーションがドンドンと拡張していく、世界のあらゆる国が抱えている問題でもあるのです。それはかつての純血主義や、国粋主義では抑えきれない、世界のあらゆる国境を揺るがし得ない問題なのです。これまでの古い規定を変えていく、そのような議論が、今必要になってきているように感じています。もし仮に改憲をするのであれば、このような教育に関する義務、またその他、細かい箇所で不具合が生じている箇所もまた、改憲していくべきだと思われます。