心象風景の窓から

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”ジャパン・アズ・ナンバーワン”の栄光と影 〜なぜ若者は自己肯定感が持てないのか〜 No.1

「少年よ大志を抱け」という言葉にあるように、若者というのは、壮大に夢を抱き、またそれを果たすように期待される。しかし、あらゆる世界で、己が自由に大志を抱けるには、自分の信念の安全性が保障されていなければならない。また人間は、素っ裸な姿では、自分をこの広大な世界に拓いて行く事が出来ない。自分が安心して、大志と共に羽ばたく為には、その基盤となるような他者や居場所が必要である。

 

またその際には、自分の存在感を安定して維持するために、時に自分と他者を明確に分別出来ている事も、大切な要素だ。そういう意味で、自分が確かな意志持って行動するには、他者との明確な相対化が必須になるだろう。それは、自分という存在は、生物学的な「皮膚」という境界線があって、初めて他者と自身を分別し、その上で交流が可能であるのと同じ原理だ。このように自分と他者が、皮膚という境界線を通して明確に分別できていて、かつその自己のテリトリーが、他者によって脅威に晒されない安心感が、並存して初めて、大志は抱けるのだ。

 

時に、1970年代の日本の国内情勢。当時の日本社会は、その高度な資本経済が円滑に巡り始めたのをきっかけに、戦後復興の途を辿る上での高揚感に包まれていた。それは、他の欧米列強国との明確で、ポジティブな差別化が可能だった時代だった。あの頃の物なし金なしの敗戦国という暗い空気は、この恵まれた時代の気運に流されて、それはかつての淀んだコンプックスをも、ついには勇ましく払拭するに至ったのだ。

 

このように高度経済成長期の日本には、当時の若者が存分に大志を抱くことの出来る環境が整っていた。その上昇し続ける時代の気運によって、日本国とその国民は、ついに欧米列強国と同じくその名誉を得られたという実感と、またそれ以上と讃えられた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という輝かしい称号を得られたのだった。そしてそういう自惚れが、自分たちこそが、この日本という国を創り上げたのだという無類の誇りになった。まさに、当時の若者の自己肯定感は、この「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉に、満ち溢れているように感じる。それは、どこまでも誇り高く躍進する、終わりのない自己肯定感である。

 

しかし、朝鮮戦争や、ベトナム戦争など、経済的特需と共に日本の輝かしい時代の気運をもたらした冷戦構造の崩壊が訪れる。この後の世界では、アメリカが中東に侵攻を開始したのをひきりに、とうの日本経済では、二度のオイルショックが、それまで円滑に巡っていた市場経済に深刻なダメージを与え、その高度経済成長と謳われ軽快に疾走してきたその活力を、徐々に奪いつつあった。そして、その気運に踊らされた士気だけが、亡霊のように残留し続ける事になる。このような士気は、未だに自分の意志を、明確でポジティブに差別化が可能であると迷信されている。

 

かつての資本主義vs共産主義というように、当時の冷戦構造を形成していたのは、イデオロギー集団同士の対立という構成であった。かつてのジャパン・アズ・ナンバーワンが栄誉に成り得たのも、とうの日本の経済が、その当時のイデオロギーの優位性を推し進めていた冷戦の対立構造の空気を、そのままの形で内面化してしまったためだろう。つまり、ジャパン・アズ・ナンバーワンという栄誉も、当時の欧米列強国の圧倒的な勢力との差別化を、敗戦国というコンプレックスに淀む当時の日本国が、その国際的な立場を優位に働かせるためのシンボルだったのかもしれない。