読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

男性のDV被害はいかにして隠されるのか ~男女の被害意識の相違~

離婚、うつ、死亡事件まで発生…DV妻に苦しむ男が急増中!?(1/3) | ビジネスジャーナル

 

当たり前だが、女性でも暴力は振るう。しかし女性の暴力は、メディア上にはあまり表面化しないのだ。なので、その潜在数はとても多いと思う。その根拠は、男性のお笑い芸人が、よく「彼女に携帯を折られたんスよね」とか「彼女に携帯の中身を見られる」というような事を、バラエティー番組などで語っている光景を、しょっちゅう観ていたのにその一因がある。このような男性が女性から卑下され、それが笑い話になるという事が、特にバラエティー番組では、とても多いように思われる。しかし、とうの男性芸人の振る舞いは、終始おちゃらけている様子で、さもそうされる事が、彼女と付き合う歓びであるかのようなアピールにさえ思われる程だった。そして会場の女性達や、出演者達からは、当然のように笑いや歓声が挙がる始末だ。

 

しかし「携帯を折る」事や「携帯を覗き見る」などの行為は、法的には十分DVであり得る。しかし、その被害者が男性である場合に限っては、そうではない。女性に対するケースでは悪辣な犯行でも、男性に対するケースでは、日常のふんわり感として演出されてしまう。その所にこそ、男性のDV被害の実態が、十分に認知されていない一因になっているように感じる。この同じケースでの被害が女性の場合、かりにそれが世間に表面化したとすれば、笑い事では済ましてはくれないだろう。被害が笑えるのは、その対象が男性だからである。

 

そもそも、女性と男性とでは、自らが被害を受けた時の反応の仕方は、まったく違う。例えば、レジの店員がおつりを渡す時に、お客の手の甲に手を添えるという行為が、一時期、コンビニなどで流行っていた時期があった。この行為というのは、調べてみると、お店側が自主的にマニュアル化したものが行われていたらしい。でも最近になってめっきり手を添えられる事があまり無くなった。というのは、それは行き過ぎた作法だ、というクレームが、内外のあちこちから起こって、それから徐々に衰退していったらしい。

 

そのクレームの中には、男性店員の方に手を添えられた事に嫌悪を感じた女性が、店長を呼び出してまで謝罪させたというような話も見られる。これは極端なケースかもしれない。でも、この女性のような怒りを、同じ事をされた男性が同じように感じるだろうか。異性から何かをされた瞬間の女性の反応と、その女性と同じ事をされた時の男性の反応の違いは、ちょうど、被害を受けた女性への周囲の反応と、同じ事された男性への反応との違いに重なる部分があるように感じる。

 

例えば、先ほど書いた男性芸人への周囲の反応もそうだ。それならこの事と全く同じ事を、彼氏が彼女にしたとすれば、観客や出演者の反応は果たして一緒だろうか。答えは違うだろうと思う。この周囲の反応の違いは、ドラマの「猟奇的な彼女」と「ラストフレンズ」との対比によってより明確になると思われる。どちらも異性からのなんらかの脅威があって奮闘するストーリーが共通しているが、「ラストフレンズ」での緊迫した演出とは裏腹に、「猟奇的な彼女では」終始コミカルな軽い雰囲気の演出だったように思う。男性の大事な玉を蹴られてまで、それでもひょうきんにヒロインを愛してしまう主人公の男性は、よくDV啓発の方が教えてくれる「依存する関係」と、どのように違うのだろうか。つまり、暴力こそは、受けるのが男性だからコミカルになるのであって、それが女性であった場合には、社会問題となるのだ。とうの男性の被害体験は、笑いの消費にしかならない。

 

そもそも男性が特に異性から暴力を受ける事は、基本的にはコメディなのだ。それらは観客が笑う事によって消費されていく。そんな中で、男性のDV被害体験は、悲劇として扱われる事があまり無い。それは事態が表面化すれば、どこまでも社会化していく女性の被害体験とは、大きく待遇が異なっているのだ。それは、男女別のDV被害の実態をリサーチしたアンケート(※1)を見ても、そうだ。みやすけの知人男性の被害と思われる体験談や、そして眼に見える範囲でのエピソードを敷衍した上で、改めてこれらのアンケートを眺めた時にも、男女の被害の割合にこれだけ大きな差がある事に、正直なところ違和感があるのだ。はたして、みやすけの知人男性の被害体験が、このようなアンケートに、きちんと反映されているのだろうか。

 

もちろん、アンケートを行った場所、サンプルの規模によっては、数値というのは幾らでも変わるものだ。しかしこのようなアンケートの結果のみで、女性の方が被害の数が多くなっているからといって、女性への暴力こそが顕著に現れているのだと断言するのは、決定的な間違いである。たかだかアンケートのレベルで、社会の問題を現前化させるのは、技術的に不可能である。しかし、このようなアンケートが市民団体の側から無作為に林立される中で、女性への暴力をストップさせようというスローガンが無闇に掲げられている。そういう女性への暴力のみをトピックにして啓発している団体が、世の中にはたくさんある。彼らが訴えている「被害者=女性」「加害者=男性」という構図は、まさにそれがDV問題を語る論壇の基調となっている。それが現状なのだ。

 

そもそも人と人との関係であるからには、どちらもある程度、加害をしてしまう事はあり得る筈だ。もちろん被害に合うケースも、その同じ数だけある訳だ。でも、注意したいのは、DVというのは、このような普通に起こるようなケンカの話ではなく、あくまでも命の危機を感じるような極端な場合に限るべきなのでないかと思われる。

 

ある時、みやすけは地元の区役所の保険師の方にお話を訊く機会があった。その彼女が云うには、単なる夫婦ゲンカにも関わらず、DVの被害を受けたと、女性が窓口に押し掛けてくる出来事が以前にあったらしい。それも、このケースが特殊なのではなく、他にも同様の事がたまにあるという事だった。しかし、このような女性の行動が一般的に数多くあるのかどうかは判らない。でも、そのような女性が他にも少なからず居る事を考えれば、このようなアンケートに記されている女性の被害体験の中にも、実は普通レベルのケンカのケースが含まれているのではないかと、少しは疑われるのではないだろうか。

 

それに、女性の被害性を啓蒙する動きは活発なのに対して、男性に対する被害性の啓蒙については、あまり聴いた事が無い。もちろんまったく無いという事もないだろうとも思う。なら、始めの方でお話をした、とうの男性芸人自身の場合はどうだろう。実は彼も、彼女から被害を受けたのだと感じていたのだろうか。そして、あのような語り口に顕れるひょうきんさは、彼の演出なのだろうか。こればかりは判断しかねる。が、しかしそこには、女性と男性との間で、自身が受けた被害体験の感じ方には、相当な深いズレがあるのだろうと推測されるのだ。

 

例えば、男性に対しても女性並みにDVの啓発を薦めれば、男性が被害受けたという事例が、多くなる可能性もある。もちろん絶対に増えるであろうという根拠も無い。しかし、啓発されて、初めて被害意識に結びつくケースもあるだろう。それに永いスパンで見た時代的な流れの中では、DV被害の件数の増減というのは、実はその時々の時流にはそれほど関係ないように思う。例えば、妻の尻に敷かれ難儀する夫の物語りは、古今東西の小説や説話などに、いくらでも登場する。またこれらと同じ話でも、現代ではDVと呼ばれているかもしれない。つまりDVというのは、現代特有の闇なのではなく、いつの時代にも存在した、普遍的なものなのだろうと思うのだ。

 

(※1)配偶者からの暴力被害体験 〜社会実情データ図録〜

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2790.html