心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

歴史を学ぶとは 〜歴史とその時代の論理構造を知ること〜

 

この前、たまたま出逢った人が、歴史を学んでいるらしく、さも自分の習った知識やら認識に誇りがあるように、現在、社会で起こっている社会現象を、その問題とされる事例や引用を多用して、切り込んでいた。その人の、あまりの自信と、そのざっくりと問題にメスを切り込む姿に、みやすけは圧倒されてしまったのだった。その人に後光が差しているというか、それには知る歓びも在ったのかもしれないが、しかし何やら真実を過信し過ぎているようにも感じて、肝を冷やしたのを憶えている。

 

これが「真実の歴史」であるというようなもっともらしい喩えは、そもそも間違っていると思う。むしろその時代の背景や、時代を構成する論理構造、そしてその瞬間の時事的な流行には必ず何かしらの要因が有るという認識の方が正しいと思う。それに大学や公教育の場で使用される教科書に書いてある内容は、決してそれが正しい訳でも、真実である訳でも無い。国の機関がこれが歴史であると定める事と、それが実際、当時の時代の空気を忠実に再現しているのかは、決定的なズレが有ると思う。また、仮に厳正な立場の研究機関を通した個人的な研究に基づく史料なら、尚更だ。それは現代の様態を研究する論議を観ていても感じる事だが、現在を結論付けるような決定論を聴く度に、そもそも「時代」とはなんだろうという、この「そもそも」の哲学の部分が、すっぽりと抜け落ちているようにも見えるのだ。それに日本書紀などに書かれている古代の日本の歴史書も、一見公正なる真実が書かれているかのように思われたが、現在では、これらの描かれている古代日本の歴史も、当時の権力が堂々と介入し修正され、また描かれている歴史の整合性すらも疑われている始末だ。

 

よって歴史を論じるのは、当時の真相を解明するのではなく、いわば過去を、現代の論理で解析し、新たに「歴史」を再構成するというニュアンスの方が正しいと思われる。またそれは、構成する主体によっても、その論じられる歴史の構造は、時として著しく違うものになる事があるだろう。歴史修正主義が、過去に大きな論争を呼んだが、詰まる所、歴史修正主義的な罠は、そもそも歴史を物語ろうとすれば、どのような立場に有っても、本質的な部分では、決して逃れられないのだ。つまり、歴史修正主義は、とある一派なのではなく、あらゆる歴史論議に内在しているのだ。

 

繰り返される歴史問題や、その両者の整合性の不一致は、決してそこに真実が在るからではなく、むしろそこに己の立場の正当性を固持しようとする、その個人や集団の思惑の方にこそ所以が在るのかもしれない。つまり眼を向けるべきなのは、どちらかの歴史の真実の実証性なのではなく、その両団体の「思惑」であるのだ。例えばそれが政治的な駆け引きに使用される事もあるだろう。そういう意味で、数多に存在する歴史認識上の諍いは、国際政治での駆け引きや、個人のアイデンティティーの確立、またとある集団を形成する際の動機など、あらゆる正当性を主張する際に、己を正当化させる為の策略なのだ。

 

どんなに最先端のものでも、時代の移り変わりによって変遷し、いずれ古典と呼ばれる運命にある。そんな歴史の実用性というのは、そこで扱われる「事実」にあるのではなく、歴史を扱う論理の「動機」にこそあると思うのだ。事実は、真実では決してあり得ず、どうしても、ある歴史を論じる際には、その時代の思考法や、ドグマが混入してしまう。でもだからといって、そのような混入を取り除く事も、また予防する事も出来ないだろう。純粋な歴史観を持つ事など、決してあり得ないのだ。そして過去を知る上での唯一の史料をも、当時の歴史家の自己同一性や思惑を主張したものではないと誰が言い切れるだろうか。

 

確かに、その事件の起こった時期を特定するのには、その当時の史料は有効なのかもしれない。しかし、当時の総てを表現する肝心なる真実は、永遠の闇の中に埋もれてしまい、それらは決して現代に蘇る事は無いのだ。そうなれば、歴史を論じる行為は、「流行」を造る事と同じなのかもしれない。例えばファッションにその刹那の流行があるように、ある時代には、当時の雰囲気を表現する為の流行があるのだ。しかし、それは大雑把なものでしかない。現代からその当時の流行を観ようとも、果たして、遺された史料が、その当時の歴史家のドグマであるのか、またその歴史家が一体どのような歴史修正主義の観点を敷衍していたのかという厳密な判断は出来ないだろう。

 

このように歴史学でいう所の主流は、あくまでも相対的な概念である。更に謂えば、流行とその周辺に位置するサブカルチャーなどの、支流を流れる文化の様子を知る事は、尚更困難を極める事になる。だからその当時どのような文化が犇めいていたのか、またその中で何が主流だったのかも、様々な文化が併存し、共生している事実を吟味した場合には、どのような決定的な主張をも、その時代時代によって絶え間なく覆され続ける刹那的な代物でしかない。歴史というのは、決定論のようにある一点に収束する事は、決して無い。それは仮説と逆説とが互いに、決定論と懐疑論との間を行き交う現象であって、また、そのような力学系を意識する事が、歴史を学ぶという意義になるのだと思う。

 

また現在は「多様性の時代」だと喩えられているが、そもそも多様性の無い画一的な時代の方が、実は少数であって、実際は在ったとしても極短期間のように思うのだ。例えば、その時代に戦争が有ったからといって、その時代を戦争のみで語る事は出来ない。たった一つの尺度では、それ自体を知る事も、論じる事も出来ない。そしてそれが決定するとなれば、尚更である。歴史的方法論で可能なのは、多様に拡がる各問題を、強引に引き裂き、現代の同一の価値基準の元で、対象と対象の関係性を算術的に繋ぐ事くらいである。しかしそれは、決して真実の歴史では有り得ず、毎度使用されるロジックは、様々な立場によって散在し、その立場から視た事実を量産するのみである。

 

このように歴史を学ぶ上で大切なのは、歴史の流れに唯一の真実を決定するのではなくて、歴史という決定論を構成する、現代の論理構造を知る事である。そういう意味では、歴史の構築へと向ける意識をもっと小さく裁断されるべきである。歴史を学ぶ事で、時代時代に共に生きる様々な文化が併存している事を知り、それぞれの分野には「流行り」がある事を感じ取る。

 

更に発展させると、一連の時間軸を流れ行く歴史の側面で視た場合でも、それは決して、あの時代この時代と明確に区切られるものではなく、様々な文化を包摂する共同体が無数に存在して、文化的な多様体が構成されているのだ。そしてその際に、構成される文化的な多様体である現在とその過去の間には、一定の時間軸上の流れに沿って、それに関連する自己相似なる重なりがある事を知るだろう。つまり、一連の歴史上には、決定論的な一つの真実に包摂し切れない、多様性の溢れる複雑な作用が巨大な力学系を構成しているのである。そして、歴史を構成する要因の多様性という共通項が、過去、現在そしてその未来の歴史総てに共有されているのだ。しかし、それらは決して過去、現在、未来のどの部分または、より細部のあらゆる瞬間にも、決して回帰する事は無い、人間の営みが繰り返され続けているのだ。

 

このような決して包摂されない巨大な歴史とは、そのような事実が自明であるからこそ、それを決定付けようとするその時代のロジックを、分析可能にさせるのだ。