読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

反原発派はなぜ敗北したのか 〜イメージと信頼関係〜

政治

福島の原発問題のようなひっ迫している現実を争点にし、それに世論でも原発に対して問題意識がかなり高かったのにも関わらず、反原発陣営はボロ負けだった。なぜだったんだろうかと、みやすけは首をかしげるが、反原発陣営の面々を見ると、なるほどな、と感じる事があった。その問題とは、彼らのイメージであると、みやすけは思うんだ。

 

イメージのお話と云えば、ちょっと前にフェミニストによる舛添さんおろし運動なるものがあった。フェミニストは舛添さんに対してのネガティブなイメージを、他の女性に想起させようとしたんだ。彼女達は、「舛添を支持する男とセックスをしないの会」を流布し、女性に対して、いかに舛添という男がふしだらな奴なのかというネガティブキャンペーンを繰り広げた。しかし、女性と言ってもフェミニスト系列内での争論。その数はたかが知れていたように思う。そして、フェミニストの意に反して舛添さんは見事に当選してしまった。更にその活動を皮肉るかのように、男女別の投票数を比べたとき、女性の方が支持率は、やや大きかったらしい。結果、フェミニストは、一般の女性達にムーブメントを起こす事が出来なかった。なぜ、フェミニストは、一般の女性達に見向きもされなかったのだろう。それは、フェミニスト達が繰り広げた場所が、ネット中心だった事、そしてフェミニスト自身に対して他の女性が持つイメージがあると、みやすけは思うんだ。

 

例えば、今回の反原発勢力の細川護煕さんの場合、彼にはみんなに取って判り易い人、小泉純一郎が付いた。この事は、マスコミもきっと追い風になる事を期待していたのだけど、結局は当選者と圧倒的な差で落選してしまった。彼に、判りやすい人が応援してくれたまでは良かったのだろう。けど、細川さんの第一印象なり、何らかのオーラ的なものがよく見えず、しかも、致命的だったのは、彼のその「正体」がいまいちよく判らなかったという事が挙げられるのではないか、と思う。有権者に取って、彼は未知の部分が多くて、小泉さんの応援も空しく、結局は投票にまで結びつかなかったのではないか、という事が、今回の敗因なのではないか。

 

それと宇都宮健児さんの場合も、みやすけの見聞内で云えば、原発が如何に「怖い」ものかという事を喧伝しているだけで、一体彼がどのような人物で、何をしているのかが判らなかったと思う。それに彼の場合、原発がいかに恐ろしい存在なのかという部分まではビジョンとして明確に「イメージ」出来たと思う。しかし実際は、この恐怖の感情を煽る部分のみにフォーカスされただけで、恐怖を訴え続ける彼の異様な気迫が、逆に世間の人に、不安だけを与えていたのかもしれない。そう、先ほど書いた事が真実なのだとすれば、それは具体的な彼らの問題意識とか、マニフェストとかそういうのではなくて、単に有権者の方々が「判らなかった」という事なのかもしれない。それを踏まえて、フェミニスト反原発陣営は今回、敗北落選したのではないか。

 

今回に限った話ではないけど、選挙というのは、自分の信念を一生懸命訴えるだけでは、まるで票に結びつかないのだという事に注目したいと思うんだ。選挙の時期になると、選挙公約いわゆるマニフェストが大々的に流布されるが、そもそも「マニフェスト」というのはイタリア語起源の言葉らしくその意味は「作り話。嘘」らしい。つまり有権者にとって、候補者の公約なんてはなから信用していない訳です。それを候補者が、マニフェストを護るか護らないかといった次元で議論しようとするマスメディアの対応は、ちゃんちゃらおかしいという事になる。

 

それに有権者の方々ににとって、候補者の面々は、初めて名前を聴く人がほとんどなのではないか。そんな有権者にとって、名前もどんな人なのかも知らないような候補者を、唯一見定めるポイントとはなんなのだろう。それは彼らの第一印象、つまり彼らに対するイメージだと思うんだ。そんな候補者たちがどのように問題を訴えたとしても、有権者にとって、マニフェストそのものを信じている訳ではない。つまり、有権者が、「ああ、何となくこの人かな」というように大体、候補者がどんな人かという事を知った時にこそ、初めて投票に結びつくのではないか。更にいえば、その候補者に対して、有権者がいくらかのネガティブなものを感じれば、投票には全く結びつかないという事になる。

 

例えば、その傾向は、日本の初代内閣総理大臣であった伊藤博文にも当てはまると思う。というのは、伊藤博文自身も、今でいう所の女性スキャンダルの絶えなかった人であったらしい。それこそフェミニストを激高させた舛添さんにも及ばない程の破廉恥な人だったらしいんだけど、その破廉恥さを隠そうともしなかった伊藤博文は、民衆に嫌悪されるどころか、逆に支持率が高かったらしい。つまり、破廉恥だからといって同じ女性が反感を持つという事は、単純には結びつかない。結局、舛添さんが当選したのも、彼は元々とてもクリーンなイメージな人だし、テレビとかにもよく出ていたから、有権者にとってとても判りやすい人だったという事になるのではないか。それと同じ原理が、反原発陣営に当てはまると思うんだ。

 

 

つまり、原発がいかに危険なものかと、訴えるまでは良いかもしれない。でもだからといって有権者の方々に、一度「怪しい」と印象を持たれてしまうと、それこそ、票には繋がらないのだ。それは誰も怪しい人に対して好意を寄せる人は居ないのと同じだ。そういう意味では、反原発陣営の選挙が、このような流れの中で敗北してしまったのだとすれば、それにはきちんと筋がある事になる。それこそ、これからは、原発は恐いものなんだと、単に感情に訴えるのではなく、自己紹介的な、人と人との関係を築く上での基本から初めて見た方がいいかもしれない。