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心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

あまりにも人間的な、感情は数多もの犠牲の上に

    人間的な悪事を知ろうとすればする程、また、人間的な非情さを考えれば考える程に、人間的な感情を枯渇して行かなければならない皮肉を、一体、どのように受け入れなければならないのでしょうか。もし、人間的な感情そのものが、終わりなき差異の排除の濁流で、創られるのなら、人間という生命体は、これからも、差異の中の排除を行い続けるのでしょうか。そんな世界のプリミティブな非合理に、現代道徳や、現代倫理の、限界はあるように思えます。かくも人間らしさとは何でしょうか。連日囃し立てるように報道される、悲劇。そのあまりにも人間的でいて、非合理なるモノの現象が、あまりにも人間的な感情を創り出す。それは、人間が持ち得るプリミティブな、最小原理の法則に則る、あまりにも人間的な現象なのだろうか。
 
    人間間という差異が生み出す亀裂。その亀裂による秩序の断裂は、あまりにも人間的な感情を、破壊の闇へ葬り去るレクイエムの旋律を奏でるのでしょう。人間性とは何でしょうか。それは、道徳観や、倫理観、果には正義のような、あまりにも正しき精神によって、優しく愛部されながら育まれた理性の存在なのでしょうか。しかし、正しき精神に育まれた、あまりにも人間的な感情は、数多もの善人達の血や身体を、生贄に捧げなければ行けなかったのではないでしょうか。そのようにして、あまりにも人間的な、そして、あまりの悲惨さ故に、あまりにも人間感情は、形創られて行くのではないでしょうか。それは、あまりにもありふれていて、あまりにも無意識に根差している呪縛。
 
    人間である事は、絶えず、人間故に、幾多もの差異を生み出し、それらを生贄に処する事によって保たれて来た幻想である。 あまりにも人間的であるが故に、あまりにも沢山の犠牲の上に築かれて来た、あまりにも人間的な感情。絶えず、生成され得る、人間生命の営みは、果たして、無条件的に祝福され得る事なのだろうか。人間が、あまりにも人間的であるが故に、祝福され産声を挙げ 、生まれ出てきたあなたの赤子をも、このあまりにも人間的な感情を守るが故に、生贄に捧げる覚悟はあるのだろうか。
 
   あまりにも人間的な感情は、数多もの善人達の犠牲の上に成り立っている。あまりにも人間的な感情が、そのようにさせるのではない。それは、あまりにも人間的な感情を取り巻く、この世界の息吹そのものが、非対称の差異の犠牲の上に成り立っている現象に過ぎないという、幻想の一抹として循環しているのだろう。それこそ、あまりにも人間的な感情とは、存在という泥沼に咲く、美しく可憐な、詫びしき蓮の花なのでしょう。