心象風景の窓から

〜広大な言論の世界に、ちょっとの添え物を〜

思想

「皮膚」を脱ぐための表現行為 Part3

そのような過剰な社会では、必然的にそれらの重くなった衣服を、自主的に脱ぐ行程が必要になります。その一つの方法が、自分を「表現する」事なのです。そう、身体で表現する事によって剥き出しの自分をさらけ出す。それはこれまでに何重にも重なり、半ば石…

「皮膚」を脱ぐための表現行為 Part2

この世の中には自分を「表現している」人たちがいます。表現者たちは、自分の内なる世界をどんどんとさらけ出しています。そんな彼らは、激情的であり、かつ感傷的でもあります。時に人間は、コミュニケーション以上の何かを表出しようとします。それを身体…

「皮膚」を脱ぐための表現行為 Part1

あらゆる生物には「皮膚」という臓器があります。この皮膚を通して、生物は、敵味方、必要不必要を識別して、個体を維持しています。皮膚とは境界です。それを基準に、要るものの世界と要らないものの世界が、峻別されている。しかし、そんな要らないものの…

エゴイズムの時代のサイエンス 【神は死んだ】のこれから 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.3

しかしその際に現れる、それなりの弊害も、また危惧されるべきであると思う。それは、「私的な」という観点から広範な社会的現象を「語る」事に際しての自身のスタンスと、その振る舞いである。そこには、自ずと錯綜した視点と、それに絡んだ自分のスタンス…

サイエンスの解体とアイデンティティの行方 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.2

これまでサイエンスは、「主観」とされるものを極力排除してきた。その傾向をより強めたのは、16〜19世紀の期間だとされている。この頃のサイエンスは、観察器具による現象の観察と、幾度の実験による検証という手法を確立した時期である。これら観察器具と…

フィロソフィー【知】と【人】そして愛の関係 〜【私的】社会構造とサイエンス〜 No.1

真実的なものが、形而上的であるという意義は、自分とは「決して知り得ないと存在」とする事にその本義がある。「決して知り得ない」それは、いわゆるサイエンスを志す者が身に付けるべき作法であると言えるだろう。また「決して知り得ない」とは、それは「…

「皮膚」を脱ぐ為の表現行為 No.3

思想編集【「皮膚」を脱ぐための表現行為】は、大幅な改訂をしました。なので、以下のアドレスにお引越しです。よろしくお願いします。 ブログ管理者 みやすけ 「皮膚」を脱ぐための表現行為 Part1http://miyasuke.hatenablog.com/entry/2017/07/14/120933 …

「皮膚」を脱ぐ為の表現行為 No.2

【「皮膚」を脱ぐための表現行為】は、大幅な改訂をしました。なので、以下のアドレスにお引越しです。よろしくお願いします。 ブログ管理者 みやすけ 「皮膚」を脱ぐための表現行為 Part1http://miyasuke.hatenablog.com/entry/2017/07/14/120933 「皮膚」…

「皮膚」を脱ぐ為の表現行為 No.1

【「皮膚」を脱ぐための表現行為】は、大幅な改訂をしました。なので、以下のアドレスにお引越しです。よろしくお願いします。 ブログ管理者 みやすけ 「皮膚」を脱ぐための表現行為 Part1http://miyasuke.hatenablog.com/entry/2017/07/14/120933 「皮膚」…

合理性と死への快楽のエロティシズム 〜理性に緊縛された肉体は絶えず死を希求する〜

人間は他者を求めるとき、そこに自分の身体、精神の総てをその他者のイメージの中に投影しようとする。肉体が他者を求める衝動は、絶えず人間の存在を揺るがす。他者を愛するとは、自己の存在を総て、愛する他者の体内に浸透させようとする企てだ。愛の中に…

人間の権利について 〜永久の人間の尊厳を生きるとは〜

近年、巷では「平等」「自由」「個人」や「基本的人権」が、よく叫ばれている。しかし現在での、これらの言葉は、様々な思惑を浸透させた作為的なものになっている嫌いも、度々感じている。詰まる所、これらの言葉を「武器」にして、自己主張をする為のもの…

文化の純粋なオリジナリティは成立するか

その民族のオリジナリティは、他民族からその文化を輸入したものが多く存在する。例えば、日本の文化には、宗教的にはインド仏教学や儒教などの中国思想のような、他文化のオリジナルが多分に影響されて形成されているのが見られる。文化の形成には、他文化…

歴史を学ぶとは 〜歴史とその時代の論理構造を知ること〜

この前、たまたま出逢った人が、歴史を学んでいるらしく、さも自分の習った知識やら認識に誇りがあるように、現在、社会で起こっている社会現象を、その問題とされる事例や引用を多用して、切り込んでいた。その人の、あまりの自信と、そのざっくりと問題に…

生を歩む途の途上で 〜郵便的不安と彩りのファンタジー〜

どのような人生にも、それなりのファンタジー性や非日常感は必要不可欠なんだろう。今、東浩紀さんの本を読んでいるが、みやすけは彼の世界にどっぷりと浸る事で、一体何を得ているのだろうか。果たして、その世界の中でテクストから滲み出る匂いに悦楽を感…

知識の信憑性とは何だろう 〜ネットを通じて拡がる学術の可能性〜

最近は、Twitterとか個人のブログの方が、思想的な刺激を受ける事が多くなってきた。これらはいわゆるネット情報とか言って揶揄されるモノだけど、ネット情報を揶揄するといっても知識の「信憑性」が、という程度の次元の話であって、それらを「発想」という…

確率論的統計学の手法についてのメモ 〜客観性から主観性へ〜

批評家たちの創るストーリーは、読み物としては面白いものが多いけど、それが現実的かと言えば、何だかなって思う訳です。社会の多様性は、確かにあると思います。でも、それを認識するだけの能力も方法も、今の人間には備わってはいないように感じます。な…

死(imaginary)と生(real)の循環へ

実世界(real)に疲れた時、虚世界(imaginary)=死(dying)へと想いを馳せる事は、実は、固くなってしまった心身の苦しみを和らげる効果があります。人間を始め、総ての生体というのは、自身を取り巻く外世界が常に必要です。なぜなら、実世界(real)から…

複雑多様な情報化と、流動するフラクタルな世界

自分にとってこの世界に違和感があるなら、まず広大なその世界の仕組みを知らなければいけないと思います。では、そういう世界で、知るという事は、どういう事なのでしょうか。日々、生活し、生きているという事は、それだけの苦悩、苦悶がある筈です。しか…

あまりにも人間的な、感情は数多もの犠牲の上に

人間的な悪事を知ろうとすればする程、また、人間的な非情さを考えれば考える程に、人間的な感情を枯渇して行かなければならない皮肉を、一体、どのように受け入れなければならないのでしょうか。もし、人間的な感情そのものが、終わりなき差異の排除の濁流…